会報誌「サングラハ」第207号(2026年5月)について

会報誌「サングラハ」今号の内容についてご案内致します。

2026年5月25日発行、全頁、A5判、700円

目次

目次

目 次
巻頭言 ……高世仁 … 2
近況と所感 ……岡野守也 … 3
仏教と科学の融合(4) ……岡野守也 … 4
般若経典と日本の心(3) ……岡野守也 … 16
サンカーラの発見(10) ……羽矢辰夫 … 27
ウィルバーが描く未来の仏教
―Integral Buddhism and the Future of Spirituality を読む(8) ……増田満 … 29
『アダルトチルドレン』考(8) ……杉山喜久一 … 38
私のサングラハでの学び ……森哲史 … 42
サングラハと私(21) ……三谷真介 … 43
講座・研究所案内 …… 51

巻頭言

研究所主幹代理 高世 仁

新緑が目に鮮やかに映え、少しずつ夏の気配も感じられる頃となりました。会員の皆さんには、いつも温かいご支援をいただき、感謝申し上げます。
当研究所では、岡野主幹が病気療養中の暫定的措置として、運営委員会を設けることになりました。主幹のご指名により松原弘和、三谷真介、森哲史、高世仁の4人が運営委員として、会報の編集・発行、講座運営、会員連絡、経理など研究所の実務全般にあたり、高世が運営委員長を務めます。皆さんのいっそうのご支援、ご協力をお願いします。

近年、ITの普及によって、私たちの仕事や暮らし、人間関係のあり方は大きく変わりつつあります。さらに現在は、AIの急速な発展と普及が社会に新たな変化をもたらしています。便利さや効率性が高まる一方で、人間同士が直接触れ合い、言葉を交わす機会は少しずつ減っています。
映画『男はつらいよ』の原作者である山田洋次監督は、人と人とのつながりの変化についてこう語っています。
「観客は見ながら、かつてそういうコミュニティーがあったな、それが人間の暮らしだったなと、胸が痛くなるほど懐かしくなる。そういう映画だったんだと思うね。
半世紀前、一世紀前は、それが日々の暮らしってものだったんだ。買い物に行くというと、お豆腐屋さんがいらっしゃい、と声をかけ、なじみの魚屋さんが包丁で魚をさばいてくれる。それが生活だった。
いまコンビニに行くとお金は機械に入れなきゃいけない。レストランではタッチパネルで注文する。「いらっしゃい。おばあちゃん、病気治った?」なんていうお店の会話は消えています。
だから、(略)いまの日本で喜劇はなかなか成り立たない。地域と家庭のコミュニティーが崩れちゃっているから。警備システムのマンションじゃだめなんですよ、寅さんの世界はね。」(朝日新聞五月五日朝刊より)
こうした触れ合いが失われていくと、他者への想像力や思いやりも弱まりがちになります。それは、岡野主幹が指摘する「ばらばらコスモロジー」の拡大にもつながる問題です。
当研究所では、ZOOMなどのIT技術も活用しながら、会員の皆さんの交流を深めていくよう努力します。同時に、互いの体温が感じられるリアルな対面交流の場も、できる限り設けていく所存です。これからも、皆さんとともに学びと交流の場を育てていきたいと思います。

近況と所感

研究所主幹 岡野守也

日々さまざまな報道に触れていると、世界全体も、否応なしにそれにつながっている日本も、どうなっていくのか、ますます予測しにくい状況になってきていることを痛感しています。
 そんな中で、この先どうなるのだろうと不安を感じる方も少なくないのではないでしょうか。
 筆者も、油断するとそういう不安が湧いてくることがあります。そして、「こんなことでは人類・後の世代の未来が心配で、おちおち死んでもいられないな。死にたくない」という気分になったりします。
 これは慈悲の心というより、むしろ自分と、自分の延長としてのまわりの大切な人、後の世代、日本人、人類への愛着・執着、つまりマナ識反応という面も強いなと自覚しています。
 「愛して染まず(執着しない)」をモットーに、長年修行してきたのですが、まだまだ修行不足のようです。
 そこで、不足なら足せばいい、この世界・宇宙が空・一如であり、無常であり、より優れたかたちへと進化するという方向性がある、と学びかつお伝えしたことを思い出そう、どうなるのかと不安になるのをやめて、宇宙進化の方向に向かって、私たちはどうすべきか・何ができるかを考えよう、「人事を尽くして天命を待つ」ことにしよう、と思い直す努力を続けています。
 加えて、最近AIのおかげで(もちろんAIには大きな問題もありそうですが、人類のサヴァイヴァルに資するよう使いこなすほかなさそうだと感じています)、世界中に持続的な人類の平和と自然との調和に向けて努力している多くの優れた人々がいるという情報を得て、これなら世界は何とかなりそうだ(もちろん多くの困難や混乱はあるとしても)、きっと大丈夫だ、という気がしてきています。
 みなさんも、可能な方は「持続可能な世界システム 取り組む人々」といったキーワードで検索してみてください。
 無関心も、不安も、まして絶望も役に立たない。希望をもってできることをしていきましょう。
 引き続き力強いご協力を心からお願いいたします。

仏教と科学の融合 4

研究所主幹 岡野守也

宇宙とのつながりで私がいる

 二千億からの星とのつながりによって、太陽系がこういうふうであることができて、だから地球がこの位置にあることができて、だから生命が存在できた。だから私が存在している。私がここに存在するために、天の川銀河の二千億からの星が全部、引力・重力でつながって、関係しているんです。
 私たちはこんなことはふつう教わっていないし、教わってもふだん自覚していません。大体、学校で理科の時間に教えてくれないですよね。「天の川銀河の二千億の星の重力は、きみがここに存在することと関係しているんだよ」「太陽系の星の位置が一個ずれたら、地球も他の惑星もみんな軌道がずれちゃうんだよ」と。そういうことを教わっておくと、ちょっと違う世界観が私たちの心に出来てくると思います。それが現代科学なのです。近代科学で「向こう側の話」みたいに思っていたことが、実は「私と関係した話」だというところに、科学自体がなってきています。
 いちばん大きいところが宇宙ですが、「宇宙がなくても私は存在できる」と思う人、いますか? いませんよね。でも、ふだん宇宙関係のNHK番組を見ていると、「私がこっちにいて、宇宙が向こうにある」、あるいは「地球がこちら側で、宇宙が向こう側だ」みたいな、そういう話ばかりやっています。例えばロケットが飛ぶと、「宇宙空間に脱出しました」などと放送している。最近はやめましたが、いつもほんとうに腹が立っていたんです。そういう放送を聞くと、「地球は宇宙じゃないのかい」って思うんですね。「地球も宇宙でしょ?」と。あえて言うならば、地球の大気圏から脱出した、地球外空間に行ったということなのに、「宇宙に行きました」って、ここも宇宙でしょう。テレビ局も、テレビを見ている私のこの場も、宇宙の一部でしょう。あれは、近代科学的なものの考え方が、科学番組ディレクターの頭からも抜けていないからなんです。そのうちNHKに「ちょっと考えてください」と投書しようと思っているんですけどね(笑)。

無常について

 ともかく、こうやって見ていくと、いろいろなものとのつながりなしには、私は存在できない。つながりのおかげで生きています。それぞれのものを見ても、全部つながりの中にある。これを一挙に直観的に掴まれたのが「縁起の理法」ということで、個別に考えていったのではありません。瞑想において直観的にパッと捉えられたんですね。私たちはゴータマ・ブッダのように天才的・直観的に捉えることができないので、こうやって丁寧に一個一個考えていく。すると頭でわかります。まずそこからスタートします。最終的には修行して覚らないとダメですが、まず頭から、わかることから始まります。
 さて、ブッダは縁起ということをまず言われました。それに関わって、重要な教えを簡単にいくつか見ていきたいと思います。
 さきほど「縁生・縁滅」という言葉についてお話ししましたが、縁によって起こっているということは、縁がなくなったら消えるんです。すべてのものは時間の中で起こっては消え、起こっては消える。だから、ずっと永遠・常なるものはない。これを「無常」といいます。
 ここが大事だと思います。「すべては無常。すべてが消えていく。それはしょうがない。悲しいけど、あきらめましょう。それが仏教だ」と大違いしている仏教者もいたりして、「悪いけど、何を勉強してきたの?」と思ってしまうことがあります。はっきり言うと憎まれるので、あまり言いませんが(笑)。
 それはともかく、無常もブッダの教えの中に入っていますが、まず覚られたのは無常ではなく、縁起の理法だったのです。その縁起の理法と関わって無常ということを言われた。だからこれは、そういう意味では付随的な教えです。
 確かに、すべてのものは現われては消えていくものであって、ずっとそのままというものはありません。そこのところを、昔の、特に中世日本文学のような形で捉えると、「ああ、すべてのものは消え去っていって、悲しいな。でも、だからこそ美しい」という、無常感の美学となったりするんですね。「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」とか言われたら、「何か寂しいけど、美しいな」と思って感動したりするでしょう。それが仏教だと勘違いしている人が多い。あれはそうした誤解の影響を受けて作られたもので、それなりに芸術としてすばらしいのですが、ブッダの無常観で確かに、すべてのものは現われては消えていくものであって、ずっとそのままというものはありません。そこのところを、昔の、特に中世日本文学のような形で捉えると、「ああ、すべてのものは消え去っていって、悲しいな。でも、だからこそ美しい」という、無常感の美学となったりするんですね。「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」とか言われたら、「何か寂しいけど、美しいな」と思って感動したりするでしょう。それが仏教だと勘違いしている人が多い。あれはそうした誤解の影響を受けて作られたもので、それなりに芸術としてすばらしいのですが、ブッダの無常観ではありません。あえてはっきりと言っておきます。
 ブッダの無常観は、そうした「ああ悲しい。でも美しい」というのではなくて、冷静な洞察です。すべてのものは必ず変化をします。では「変化する」とはどういうことか、よく考えてみましょう。
(抜粋ここまで)

般若経典と日本の心 3

研究所主幹 岡野守也

般若経典群について

 今回は天武天皇と聖武天皇、そして般若経典の思想との関わりに焦点を絞ってお話ししていきたいと思います。
付け加えると、聖武天皇は般若経典も重んじましたけれども、もっとも重んじたのは『華厳経』でした。ですから、聖武天皇の思想を語るときには『華厳経』まで語らなければなりません。しかし、それはまたひとつ大きなテーマになりますので、今回は天武天皇と『仁王般若経』、それから聖武天皇と『大般若経』に焦点を絞っていきます。
 とにかく彼らは理想を持ち、そして菩薩たらんという志を抱いて、古代という限界の中においても、できるかぎりの努力をした人たちだった―そのことをお話ししていきたいと思います。
 でも、まだ前置きをしておかなければいけません。「般若経典とはそもそも何なのか」という話です。初心の方もいらっしゃるし、それから今までのみなさんにも改めて集約した学びをしていただきたいので、この話もしておきたいと思います。
「般若」という言葉は、カタカナ表記のサンスクリット語で「プラジュニャー」、それからサンスクリット語がもう少し俗語化したとされるパーリ語の「パンニャー」という語から来ていて、この「パンニャー」を中国語の音に写す時に「般若」という字を使ったものです。だから、「般」とか「若」という漢字の意味とは全く関係ありません。音写・音訳といって、音を写しただけです。
 それを意味として訳すと「智慧」ということになります。般若=智慧なのです。ここでは正字と新字体に分けて表記して、そうした「智慧」と、私たちがいろいろなことを知っているという意味の「知恵」を区別します。サンスクリットでも、ふつうの「知恵」を「ヴィジュニャーナ」と呼び、「パンニャー」ないし「プラジュニャー」とは別のものだと、概念をはっきり区別しています。
 大乗仏教では、ふつうの人が言葉を使っていろいろなものを別々に分かれたものとして知る知恵のことを「分別知」と呼んでいます。それは般若としての智慧から見ると、むしろ「ほんとうのことが明らかでない」という意味で「無無明」―サンスクリット語では「アヴィドゥヤー」―なのです。私たちが知恵だと思っているものは、仏教の目から見たらほんとうのことが見えておらず、むしろ無明なのだと。それが大乗仏教の主張であり、それにはちゃんと根拠があると思われることを、これまで唯識や般若経典の講義でお伝えしてきました。
 中身については後でご説明しますが、まず般若経典がどういうものか、ざっとお話ししておきます。般若経典とは、ふつうの人間、仏教的にいうと凡夫のものの見方・知り方・知恵を超えた、「ほんとうの智慧について述べた経典」という意味です。つまり「般若=智慧の経典」ということですね。
 般若経典は一種類ではなく、紀元一世紀前後に書き始められただろうと言われていて、歴史的にはゴータマ・ブッダの言ったことではありません。ブッダと同等以上のことを語れるという自信を持っていた当時の覚った人たちが、ゴータマ・ブッダの名を借りて書いた多数の著作です。したがって、学問的には「般若経典群」と呼ばれます。

般若経典の発展と歴史

 この「般若経典群」の中で、日本人のたいてい誰もが知っているのが『般若心経』です。さすがに若い世代でも、『般若心経』の名前も知らない子は少ないようです。お寺やお葬式で、どうしても触れたり聞いたりしますからね。それから、もう少し長めのものが『金剛般若経』という経典です。
 この『般若心経』や『金剛般若経』の中身がどういうものであるかについては、講義もやりましたし、本も書きました。詳しく知りたい方は、『般若心経』のほうは『よくわかる般若心経』(PHP研究所)を、『金剛般若経』については『「金剛般若経」全講義』(大法輪閣)を、それぞれご参照いただきたいと思います。
 それから先に挙げた『仁王般若経』『金光明経』『大般若経』は、飛鳥から奈良時代にかけて、歴代天皇や彼らをサポートしてきた藤原不比等など、日本の古代のリーダーたちが非常に重んじた経典です。それらの般若経典には、国を護る「鎮護国家」、災いを祓って福を招く「攘災招福」、それから「病気平癒」という呪術的な力があると信じられた。これは事実です。
これらの経典は飛鳥・奈良時代から今日に到るまで、日本中の寺院で読まれてきました。今でも大般若会や仁王会、金光明会をやっているお寺があります。中でも、いちばんの全国区は大般若会ですね。
(抜粋ここまで)

編集後記

既存の国際秩序の崩壊を実感しますが、そのような中でも、本質的な希望の根拠は確実に存在します。本誌はそのことを伝え続けています。主幹のコスモロジーの入り口に当たる講座「仏教と科学の融合」講義録は第3回目で、今回はブッダが「縁起」という言葉に込めた真意と、その事実に気づくための、会員にはおなじみのワークが語られる箇所です。そう気づいてみれば、たとえどんな状況であっても、私たちがお月さま・お日さま・お星さまとのつながりの中で、そのおかげで活かされているのは、メルヘンでもきれいごとでもない端的な事実で、生きていることが奇跡に感じられてきます。前号でスタートした中級向けの講義録「般若経典と日本の心」は、般若経典に現れる「護国」の思想が、大乗仏教の仏国土建設の精神そのものであり、その理想を日本古代のリーダーたちが本気で自分のものにしていたこと、少なくともその可能性は非常に高いことがわかります。そもそも古代の人物が、現在の私たちのように言葉に不真面目であることなどできなかったことは、想像に難くありません。それにしても、少し前の左翼進歩主義の人士の歴史観の惨状…その「総括」がなされていないことは、現代の思想上の大問題だと思われます。ほか、各筆者の力作記事、ぜひお読みください。(編集担当)

会報誌「サングラハ」ご講読のご案内

会報誌「サングラハ」は、購読料5,000円で年6回隔月発行・お届けしています。

お問合せ・お申込みは、個別の号のお取り寄せのご相談などは、こちらの専用フォームをご利用ください。

    お名前 必須

    ご職業必須

    会社名・団体名任意

    メールアドレス必須

    電話番号必須

    郵便番号必須

    ご住所必須

    お問合せ内容必須

    以上の、ご入力頂いた内容につきましては、
    回答のために運営事務局内で担当者に共有させて頂くことがございます。
    ご了承頂けましたら、以下のボタンより送信をお願いします。

    情報共有のご協力をお願いいたします
    • URLをコピーしました!
    • URLをコピーしました!
    目次