会報誌「サングラハ」今号の内容についてご案内致します。
2023年11月25日発行、全頁、A5判、700円
目次
■ 巻頭言…………………………………………………………………………………………………… 2
■『正法眼蔵』「有時」巻講義(4) ………………………………………岡野守也… 3
■「私がここにいるわけ」――高校生に語るコスモロジー(6) …高世仁…… 17
■ 仏弟子たちのことば(22) アングリマーラ② ………………………羽矢辰夫… 24
■グローバルな問題を解決するために人々が持つべき内面について
――いくつかの提案を四象限コスモロジーで評価する(7) …………増田満…… 26
■ 私のサングラハでの学び(2) ………………………………………………毛利慧…… 34
■ サングラハと私(7) ……………………………………………………………三谷真介… 36
■ 講座・研究所案内…………………………………………………………………………………… 43
巻頭言
寒くなりました。みなさん、いかがおすごしですか。
また一年間生きることができたことに感謝する気持ちで、おだやかに年末を迎えたいと思ういま、パレスチナ・ガザからは連日、悲惨なニュースが伝えられています。
理不尽さであふれるこの世の中を、私たちはどんな心構えで生きればよいのでしょうか。
激しい悲惨を突きつけられると、誰でも気分がふさぎます。共感性がとても高い人は「共感うつ」になることがあるといいます。大きく感情を揺り動かされ、心身の調子を崩して「うつ」状態になるのです。
他者の不幸を「自分事」としてとらえる――これは健全な市民社会に求められる態度です。そこから、真面目な人ほど、「他人の不幸には共感すべきであり、共感して心が乱れるべきである」という思い込みをしがちになります。
岡野主幹には以下のように教わりました。
「健全な市民にはもちろん適度な共感性は必要だが、共感しすぎて自分まで不幸になるのは、世界に不幸な人を一人増やすだけで、不幸を減らすことにはならない。あなたがすべきことは、不幸を少しでも減らす具体的な行動をすることであって、それができないのなら、そのことは忘れて、せめて自分が不幸になるのは避けるように」(いやな気分の整理学――論理療法のすすめ』(NHK生活人新書)を参照)。
共感しすぎて疲れたり「うつ」になったりするのではなく、人間として適度な共感の範囲にとどまりながら、自分にできる行動をする。これは大乗の菩薩をめざす者としても取るべき心の姿勢だと思います。
では自分にできる具体的な行動にはどんなものがあるでしょうか。
世界の不幸はガザにかぎりません。私たちのすぐそばにも不幸にさいなまれている人がいるはずです。
自分をふくむ世界を、慈悲の眼差しで見渡し、できることは何かを模索する。こうして世の不幸を自らの修行の糧として生きることができるよう、精進していきたいと思います。
来年もともに学び、高めあっていきましょう。
『正法眼蔵』「有時」巻講義(4)
あらゆるものを包み込む全体
原文
いま世界に排列せるむまひつじをあらしむるも、住法位の恁麼なる昇降上下なり。ねずみも時なり、とらも時なり、生も時なり、仏も時なり。この時、三頭八臂にて尽界を証し、丈六金身にて尽界を証す。それ尽界をもて尽界を界尽するを、究尽するとはいふなり。丈六金身をもて丈六金身するを、発心・修行・菩提・涅槃と現成する、すなはち有なり、時なり。尽時を尽有と究尽するのみ。さらに剰法なし、剰法これ剰法なるがゆゑに。
現代語訳
いま世間で配列している午や未といった十二の時をそうあらしめているのも、本来の在り方がそのように昇降上下しているのである。子も時であり、寅も時であり、衆生も時であり、仏も時である。この時が、三頭八臂となって全世界を覚り、一丈六尺の黄金仏となって全世界を覚るのである。そもそも全世界をもって全世界を尽くすことを究尽するというのである。一丈六尺の黄金仏をもって一丈六尺の黄金仏を尽くすことが、発心・修行・菩提・涅槃となって現われる。つまりそれが存在であり、時である。いいかえれば、時の全体が存在の全体であると究め尽くすだけで、さらに余るものはない。余るものとは余る存在ということになるから。
昔の暦では、子・丑・寅…のように十二支を使って一日を十二の時に分けていたのですが、そういうふうに時が別々にあるように区切られているのも、もとを正すと、本来の在り方(住法位)が昇降したり上下したりするからです。これはつまり、「経歴」と同じことです。
ねずみ(子)の時もとら(寅)の時も、同じように働く時だし、衆生であるというのも時の働き、仏であるというのも時の働きです。そして、その時の働きが、あるときには不動明王として全世界を覚り、あるときには金色の仏さまとして全世界を覚ります。実はそれは、全世界が全世界を覚るということなのです。
道元さんは、言葉を超えた世界を何とか表現するために、時々これまでにない言葉を創るのですが、ここでは「尽界をもて尽界を界尽するを、究尽するとはいふ」、全世界をもって全世界を全世界として自覚することを究尽するというのだ、としています。
それは「丈六金身をもて丈六金身する」、つまり「仏が仏する」ということです。その仏が仏することが、発心し、修行し、覚り、涅槃に入ることを、現象として実現していく。そして、存在であり時である存在即時が、不動明王あるいは金色の仏、あるいは衆生、あるいは迷いとして現象していくと。
これは、「尽時を尽有と究尽するのみ」、すべての時がすべての存在として究極の働きをしているだけです。その究極の働きの現われが、一瞬一瞬・ただ今ということなのです。
これには「さらに剰法なし」、すなわちこれ以外のことはありません。存在即時という全世界の本質的なあり方以外に何かがあったら、それは全世界ではないからです。すべてを包んでいるから「全」なのであり、余っている他のものがあったら、それは「大きい部分対小さい部分」という話になってしまいます。あらゆるものを包み込んで余るものがないのが全体で、もし「剰法」・余るものがあったら、それは全体にはなりません。
生成する宇宙に一瞬一瞬出会う
では次に進みましょう。
(以下、本誌にて掲載)
「私がここにいるわけ」――高校生に語るコスモロジー(6)
私の甥っ子で、落ち込みがちな高校二年の男子、宙(そら)くんに、叔父の私が語っていくという設定です。
・・・・・
宙くん、こんにちは。記録的な暑さが秋まで続いてから急に寒くなったね。元気だった?
ちょっと先週の復習をしようね。宙くんの視覚や聴覚はじめ外界を感じる能力は、長い生命の営みの中で獲得されてきたんだったね。愛情という、人類に特有と思われがちな感情さえ、哺乳類の子育てから受け継がれてきた。だから宙くんの〝こころ〟は四〇億年の生命の進化のなかでつくられてきた。つまり、宙くんは体も心も〝宇宙製〟、まぎれもなく〝宇宙人〟(笑)なんだったね。
アフリカで誕生した人類
今週はいよいよ人類の誕生だ。
ぼくがコスモロジーを教えてもらった岡野守也先生から「宇宙と私の大きな物語」という壮大な話を聞いたんだけど、そこでは人類の登場がこんなふうに記されている。
哺乳類は多様化し複雑化していった
そのなかに大脳新皮質と前頭葉を進化させたものがいた
初歩的な認識能力のある霊長類の創発である
六五〇〇万年前のこととされている
また長い時が経った
さらに大脳、特に前頭葉を進化させた〈人類〉が創発し
言葉を使って世界を認識し、群れをなし、文化を誕生させた
宇宙のなかに宇宙を認識する生物が創発したのである
七〇〇万年前、アフリカでの出来事だとされている
サルの仲間、霊長類とは「動物の首長」たるものという意味らしい。子どもは未熟で、自分で餌をさがしたり体温を一定に保つことができないので母親にしがみついてる。哺乳類の子育てから愛情という感情が芽生えたんだが、霊長類の情感はさらに深くなってくる。霊長類でもとくに人間に近い、ゴリラ、チンパンジー、ボノボ、オランウータンなど、尻尾がなくなったサルの仲間を類人猿という。人類はアフリカで、類人猿から七〇〇万年前に分かれたそうだ。ゴリラ、チンパンジー、ボノボはアフリカに生息してるから、人類がそこで登場したのは自然ななりゆきだった。
宙くん、最近よく「人間とは何か」なんて言葉を聞かない? 例えば、世界では今も戦争がやまないよね。そういう問題を考える時、なぜ戦争をやめられないのか、人間とは何かをあらためて問いたい、とか、テレビに出る識者が言ったりするでしょ。
じゃあ、ぼくたち流に、人間とは何かを人類誕生から歴史を振り返って考えてみようか。
(以下、本誌にて掲載)
編集後記
世界の悲惨、近未来の危機を考えるにつけ、個人も人類も成長・進化せねばと思わされる日々です。さて、岡野主幹の『正法眼蔵』講義録、「有時」巻は後半の佳境にさしかかっています。
道元禅師の覚りは極めて深く、現世の悲惨も一体の宇宙の現れとして、個人としては進化する宇宙の働きに合わせ智慧と慈悲の働きができるよう、分別知を超え全力を尽くせと語っておられます。
古典にある禅問答をも道元流に深読みをしているところに、道元禅師の到達した境地と、言葉を相対化しながらもしっかりと重んじる姿勢が表れているように感じました。
同時に、こうした覚りによる世界観の転換と言語の徹底的な相対化の上で語られるテキストは、深い瞑想修行とコスモロジー的な思索に裏打ちされたコンテクストなくして、本来読み解くことが難しいものであることが、講義録を通じて理解できます。
もし現代日本に本当の仏教者・宗教者の方が残っておられるなら、ぜひこのメッセージに反応してほしいものです(言葉が過ぎているようでしたら失礼)。
各執筆者の皆さまから、今回も充実したご寄稿をいただいております。 (編集担当)
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