会報誌「サングラハ」第194号(2024年3月)について

会報誌「サングラハ」今号の内容についてご案内致します。

2024年3月25日発行、全頁、A5判、700円

目次

目次

 ■ 巻頭言 …………………………………………………………………………………………………… 2
 ■『正法眼蔵』「梅華」巻 講義(1) ………………………………………岡野守也… 3
 ■「私がここにいるわけ」――高校生に語るコスモロジー(8) …高世仁 …… 14
 ■ 仏弟子たちのことば(24) パンタカ兄弟② …………………………羽矢辰夫… 23
 ■ グローバルな問題を解決するために人々が持つべき内面について
  ――いくつかの提案を四象限コスモロジーで評価する(9) …………増田満 …… 25
 ■ 私のサングラハでの学び(4) ………………………………………………毛利慧 …… 33
 ■ サングラハと私(9) ……………………………………………………………三谷真介… 35
 ■ 講座・研究所案内 …………………………………………………………………………………… 43

巻頭言

研究所主幹代理 高世 仁

中村哲さんをご存知でしょうか。アフガニスタンで医療支援を続けながら、干ばつで苦しむ人々のために用水路を造り、広大な荒れ地を沃野に変える偉業を成し遂げた医師です。5年前に何者かの凶弾に倒れたあとも、世界中から称賛と尊敬を集めています。
私は昨年末『中村哲という希望』(旬報社)を上梓して以降、ときおり中村哲さんについての講演を依頼されますが、彼の言葉を引用しながら、コスモロジーについて考えてもらう試みを始めました。彼のコスモロジーはサングラハのそれに驚くほど重なっています。先日はこんな流れでお話ししました。

まず、現代の日本人に対する中村さんの厳しい批判を紹介します。
「『自分の身は針でつつかれても飛び上がるが、他人の体は槍で突いても平気』という人々が急増している」。
私たちは、人生の目的を「私がしあわせになること」に置き、「楽しくなければ人生ではない」と考えていて、エゴイズム、ニヒリズムに染まっているのではないかと問題提起すると、多くの人が頷いてくれました。
「己が何のために生きているかと問うことは徒労である。人は人のために働いて支え合い、人のために死ぬ」。
中村さんの気高い人生観に、会場からため息がもれます。これを支えるのが「天、共に在り」という彼のコスモロジーです。
「(「天、共に在り」は)我々を根底から支える不動の事実である。やがて、自然から遊離するバベルの塔は倒れる。人も自然の一部である。それは人間内部にもあって生命の営みを律する厳然たる摂理であり、恵みである」。
「天」は「自然」とほぼ同義であり、サングラハでいう「宇宙」と言い換えることもできます。私は天=宇宙と一体でその一部であり、天=宇宙の摂理に従わなくてはならない。
「あらゆる人の営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう」と中村さんは結論づけます。
講演を聞いた人からは、生き方を考え直すきっかけになったと好評をいただきました。
中村さんに限らず、サングラハのコスモロジーを共有できそうな人たちを探し、接点を持ちたいと思います。私たちの考え方を広めていくためには、「外にうってでる」ことも必要だからです。みなさんはどうお考えでしょうか。

春爛漫となり、まわりを見ればモクレンやサクラが風景に美しい色どりを与えています。季節のめぐりの早さに驚きながら、自身の無常にも気づかされ、精進しなければとあらためて思うきょうこの頃です。

『正法眼蔵』「梅華」巻 講義 1

研究所主幹 岡野守也

はじめに

『正法眼蔵』の学びを続けていますが、今日はちょうど梅の花も盛りという感じですから、季節にちなんで「梅華」という題の巻(『正法眼蔵』第五十三梅華)を学んでいきたいと思います。
この巻は例外的に末尾に少し文章が付いていて、いつ・どこで・どういう状況で語られたかが書かれています。

爾時日本国寛元元年癸卯十一月六日在越州吉田県吉嶺寺
深雪参尺大地漫々

時は寛元元年(一二四三年)。これは道元禅師が京都を去って福井の山の中に入られ、まだ今日の永平寺ができていないけれど、すでにお説法を始めておられるという時です。旧暦の十一月は現在の年末の時期ですが、その真冬に雪が降り積もっているといいます。
永平寺に冬に行かれたことのある方は、この光景がわかると思います。私も一度、雪の永平寺にわざわざ行きましたが、門前から僧堂のほうに上がる階段の両側に、掻いた後の雪が一メートル以上、二メートル弱は積み上げてある状態でした。
昔は、今日で言うところの股引や下履きもはかず裸足で修行したわけで、大変な環境だったろうなと思いながら永平寺を巡りました。
「梅華」が書かれた時期、道元禅師は、まだ永平寺ではありませんでしたが、同じ福井の山の中におられました。「深雪参尺大地漫々」、雪が九十センチほど降って、辺り一面、大地いっぱいの雪景色という状況の中でこの説法をしたと、最後に書いてあるのです。
そうした情景の中でこの説法がなされたのだなと思いながら学ぶと、私たちも味わいがいっそう深くなると思います。
ところで、道元が日本に帰る時に、師の如浄禅師は、「王や貴族たちのいるところに近づくな。山の中に入って、とにかく一人でもあるいは半人でもいいから、跡継ぎをちゃんと作れ」ということを言われました。
帰ってきた道元禅師は、「日本には形の上で仏教は入ってきているけれども、自分が覚ってきたこの真理・正法、すなわちほんとうの覚りを、今まで誰も伝えていない」と思われたようです。そこで、この真理をぜひとも当時の日本の中心のところでお坊さんにも一般の人にも伝えねばならない、という一種の使命感でもって道元禅師は京都でがんばられたわけです。
けれども、比叡山などの権威ある仏教の人たちからは、なかなか理解されませんでした。今までもご紹介しましたように、道元禅師は人間関係があまりお得意でなかったのではないかと思います。従来の高野山や比叡山、奈良仏教や平安仏教の人たちと仲良くやるより、「お前たちはわかっていない」みたいなことをはっきり言って、敵対してしまったのだと思います。
少し脇のような話ですが、その点弘法大師・空海は、中国から帰ってきたら、従来の奈良仏教の権威あるお坊さんたちとも、「自分はこういうものを伝えて来たのだけれども、今までの仏教には不足しているところをぜひとも補いたいし、そして補っていくお手伝いをしてほしい」と、非常に上手なコミュニケーションをしたようです。そうして、「ならば手伝ってやろうじゃないか」という奈良仏教の味方もたくさんつけていきました。それどころか、空海自身が奈良仏教の本拠地であるところの東大寺の責任者を一時期務めるくらい、うまくやったのです。
ところが道元禅師は、「私だけが正しい法を伝えている」との思いが強くあったためでしょう、奈良・平安仏教の方たち皆と総敵対という感じで敵対してしまいます。そうすると、当然のことながら迫害されます。
そうした中で、京都にいてお坊さんや一般の人に伝えることに限界を感じられたのでしょう。また、如浄禅師の忠告を思い出したのかもしれません。越前(福井県)に領地を持っていた幕府の重要な武将・波多野義重からの「どうぞ私の領地の山の中に来られませんか」との誘いに応じて、永平寺(当初の名は大佛寺)を建てています。
「梅華」は、その永平寺を建てようという時に書かれています。「とにかく一人でもいいし半分でもいいから、私の伝えたこの正法あるいは正法眼蔵を受け継ぐ弟子を作りたい。それが自分の残りの生涯の仕事だ」と、そう思ってしているお説法なのです。
そういう意味では、道元禅師の後半生のお説法の始めの頃のものが、この「梅華」と言えます。
そこに、如浄禅師の語録が中国から伝えられます。道元禅師を非常に高く買っておられたのを、如浄禅師の弟子たちも知っているものですから、亡くなられた後に編纂された如浄語録を道元さんにも見せなければいけないと、中国からわざわざ届けられたようです。
その届けられた如浄禅師の語録の中にある、禅の境地を詩の形で表現した頌を取り上げてお説法をされているのが、この「梅華」の巻です。後で若干他の方のものも取り上げていますが、主として如浄禅師の詩を味わいながら、説いておられます。
如浄禅師は梅の花が大変お好きだったらしく、梅の花にかかわる詩をいくつも書いておられます。ここでは、それを取り上げながら述べています。
それでは、最初のところからいきたいと思います。

(以下、本誌にて掲載)

「私がここにいるわけ」――高校生に語るコスモロジー 8

交流会員 高世 仁

 私の甥っ子で高校二年の宙(そら)くんにコスモロジーを説いていくという設定で進めています。
・・・・・・・・
 宙くん、元気だった? くしゃみしてるのは、花粉症かい。春がくるのはうれしいけど、花粉もシーズンだね。
 これ、どうぞ、もらいものだけどクッキー。紅茶をいれるから、おやつを食べながら話をしよう。
 この前、宙くんにぼくが語っているのは、新しいコスモロジーだという話をしたね。
 コスモロジーというのは、この世はどうなっていて、その中で人間はどういう存在で、だからどう生きればいいのか、そういうことをひっくるめた、生き方の根本のものの見方のこと。人間は意識しなくても、みなコスモロジーをもってて、だから毎日を生きられる。でも近代以降の人々、とくに現代の日本人は極端なニヒリズム、エゴイズム、快楽主義に陥るようなコスモロジーをもつようになった。自分のことしか考えない高齢者が増えたり、若い人たちが、すぐにへこんじゃったりするのも、そのせいだと思う。そこで、現代科学にもとづいて、「生きてるって、すてきなことだな」って思えるようになるコスモロジーをおすすめしたいんだ。自分に自信が持てるようになるはずだよ。合言葉は「仲良く、楽しく生きて、楽に死ぬ」。魅力的でしょ。

私たちは何のおかげで生きているのか?

 これまで、この宇宙はすべてつながってて、宙くんもぼくもその一部だっていう話をしてきたね。知識としては、理屈としては、宙くんもある程度分かったと思うけど、心に沁み込ませないとコスモロジーにはならないので、「ほんとにそうだなあ!」と感じられるようにしよう。
 きょうはね、これまで学んできたことを踏まえて、宙くんが生きていられるのは、いろんなもののおかげだっていう気づきをやってみよう。
 「おれは誰の世話にもならずに、自分の力だけでいきてる」なんていうのはちょっとかっこいいし、強い生き方のように思えるけど、それは事実と違ってるし、そもそも不可能。ほんとは、自分以外のもののおかげではじめて生きることができる。そしてそのことに感謝して生きるほうがほんとうの強さになると思う。

 始めるよ。人が生きるために不可欠なものを挙げてみて。宙くんがこれなしには生きていけないものって何だ?
 え、スマホがないと生きられないって?(笑)。たしかに、なくすと大変だな。でも、おばあちゃんはスマホ持ってないけどちゃんと暮らしてるよ。
 愛? 「人は愛なしでは生きられない」ってタイトルの本があったな(笑)。でも実際には愛がなくても生きられる。これなしには、生き物としての生命が維持できないという意味で不可欠なものは?
 そう、空気、酸素だよ。
 以前、宙くんがどれだけ息を止めていられるか、やってみたよね。人はだいたい5分くらい酸素を断たれると死んじゃうらしい。では、どうして酸素はぼくたちが生きるうえでなくてはならないのか。

(以下、本誌にて掲載)

編集後記

 今号から、主幹の『正法眼蔵』は「梅華」の巻に移りました。「華開世界起なり」をはじめ、美しい言葉に込められた宇宙と一体の境地の深さが、私たちにもわかる講義録となっています。高世さんの高校生に向けたコスモロジーは、人が全てとのつながりで生きていることを気づかせる内容です。
羽矢先生の仏弟子のことばは、パンタカ兄弟のうち学習で劣っていた弟について、増田さんは持続可能な社会構築のヴィジョンと斎藤幸平氏の理論の四象限的評価について、毛利さんはご自身の実践を無意識の根本煩悩について、今回語られています。
(編集担当)

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