会報誌「サングラハ」第193号(2024年1月)について

会報誌「サングラハ」今号の内容についてご案内致します。

2024年1月25日発行、全頁、A5判、700円

目次

目次

■ 巻頭言…………………………………………………………………………………………………… 2
■『正法眼蔵』「有時」巻講義(5) ………………………………………岡野守也… 3
■「私がここにいるわけ」――高校生に語るコスモロジー(7) …高世仁…… 15
■ 仏弟子たちのことば(23) パンタカ兄弟① …………………………羽矢辰夫… 23
■グローバルな問題を解決するために人々が持つべき内面について
――いくつかの提案を四象限コスモロジーで評価する(8) …………増田満…… 25
■ 私のサングラハでの学び(3) ………………………………………………毛利慧…… 33
■ サングラハと私(8) ……………………………………………………………三谷真介… 35
■ 講座・研究所案内…………………………………………………………………………………… 43

巻頭言

研究所主幹代理 高世 仁

 元旦早々の能登半島大地震で、お祝いを言うのもはばかられる厳しい年明けとなりました。被災者の方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、一日も早く安寧な暮らしが戻ることをお祈りします。

 世界はいったいこれからどうなっていくのでしょうか。年頭、「世界経済フォーラム」が「グローバルリスク報告書2024年版」を公表しました。
 それによると、今後十年間に地球がこうむる重大なリスクは、第一位 異常気象、第二位 地球システムの危機的変化、第三位 生物多様性の喪失と生態系の崩壊、第四位 天然資源の不足、と気候変動に関するものが軒並み上位に並んでいます。地球システムが「臨界点」を超え、後戻りできなくなる可能性が現実化し、事態は切迫しています。

 私たちがこの危機を生き延びるには、世界の人々がすみやかに一致協調して行動しなければなりません。
 ところが、現実はどうでしょう。ガザの大虐殺を日々目の当りにしながら、国連安保理は、「停戦」というごく初歩的な措置さえ決めることができません。
 去年、『原子力科学者会報』が核戦争などで人類の絶滅が来るまでの残り時間を示す「世界終末時計」は、1947年以来最短の1分30秒を指しました。過去に例を見ないほどの分断、対立が世界を覆っているのです。
 気候変動と戦争の危機がいずれも「臨界点」に近づいている。そんな世界に私たちは生きています。
 サングラハ教育・心理研究所は、人類に新たなコスモロジーを提言し、人と自然の関係、人と人の関係を本来あるべき姿にすることを使命としています。こういう時代だからこそ、当研究所の存在意義はいっそう大きくなっているのではないでしょうか。
 持続可能な地球を実現するために可能な努力をする一方、危機の深化は宇宙が私たちに早急な目覚めを促しているシグナルととらえ、進化の方向性、そして人間に与えられている意識進化の潜在能力=仏性という確固たる根拠に基づいた希望を保ちながら、学びを続けていきましょう。次に起きる事態は、それがいくら悲惨に見えても、新たな創造の芽になっているはずです。
 今年もご一緒に成長していきたいと思います。みなさんのご支援、ご協力をお願いいたします。

『正法眼蔵』「有時」巻 講義 5

  すべては有時・存在即時としての宇宙の働き

 原文

 大寂の道取するところ、余者とおなじからず。眉目は山海なるべし、山海は眉目なるゆゑに。その「教伊揚」は山をみるべし、その「教伊瞬」は海を宗すべし。「是」は「伊」に慣習せり、「伊」は「教」に誘引せらる。「不是」は「不教伊」にあらず、「不教伊」は「不是」にあらず、これらともに有時なり。
 山も時なり、海も時なり。時にあらざれば山海あるべからず、山海の而今に時あらずとすべからず。時もし壊すれば山海も壊す、時もし不壊なれば山海も不壊なり。この道理に、明星出現す、如来出現す、眼晴出現す、拈花出現す。これ時なり。時にあらざれば不恁麼なり。

 現代語訳

 大寂の言いえたことは、他の者と同じではない。〔ここで言う〕眉や目とは山や海でもあるだろう。山や海は眉や口〔と一体〕であるから。その「かれをして眉を揚げさせる」とは山を見ることであり、「かれをして目を瞬かせる」とは海を見渡すことである。「よい(是)」は、「かれ(伊)」の身に本来具わっており、「かれ」は、「〜させる(教)」〔力〕にいざなわれていく。「よくない(不是)」とは「かれに〜させない(不教伊)」ということではなく、「かれに〜させない(不教伊)」は「よくない(不是)」ということではなく、ともに存在即時である。
 山も時であり、海も時である。時でなければ、山や海が存在することはないのだから、山や海の「いま(而今)」に時がないとするべきではない。もし時が壊滅すれば山や海も壊滅する。もし時が不滅ならば山や海も不滅である。この道理があるので、明星が出現し、如来が世に現われ、仏の眼の玉が現われ、〔釈尊と迦葉との〕拈華微笑も出現したのである。これが時である。時でなければ、こうしたことはない。

 私の朗読が、原文の格調をみなさんにお伝えできているかどうか。伝わっているといいのですが。特にこのあたりは非常に複雑になっていて、読んだだけでは意味は分かりませんけれども、日本語の文章としての格調はすばらしいと思います。
 「大寂の道取するところ」とあります。このばあいの「道」は「真理の言葉を言う」という意味で、大寂禅師が言い得たところは他の者と同じようではない、つまり「他の人にはこうは言えない、すばらしいことを言っている」ということです。
 これは道元さんの読みが深いところで、外から言うと、大寂禅師はそこまで言っていないように思います。でも「古典は成長する」と言われるとおり、道元さんの境地になると、大寂禅師の言葉を深く読めてしまうということなのでしょう。
 宇宙は一体で、眉や目も海や山と一体ですから、「眉目は山海なるべし、山海は眉目なるゆゑに」となります。だから、「かれをして眉を揚げさせる」のは山を見ることであり、「瞬かせる」のは海を見渡すことです。
 そして、「よい(是)」ということは、もともと「かれ(伊)」に慣習として身に付いている。つまり存在としてまったくオーケーだということは、存在そのものにもともと具わっています。
 その「かれ」・具体的な人間は、教えによって導かれていきます。しかし、「よくない(不是)」とは「何々をさせない(不教伊)」ことではなく、「何々をさせない(不教伊)」のは「よくない(不是)」ことではない。つまり、何かができないことや、覚れない、悪いことをしている等々のことも、すべて存在即時・有時です。
 ポイントは、「これらともに有時なり」というところです。すなわち山も有時、海も有時、そして是も有時、不是も有時です。ましてや眉を揚げたり目を瞬かせたりするのも、全部有時の働きです。
 だから「山も時なり、海も時なり」なのです。詩としては、さらに「松も時なり、竹も時なり」とでもすれば、何となくわかったような気がして、「美しいですね」となります。けれどもそうではなくて、「時にあらざれば山海あるべからず」、時間即存在という宇宙の働きの、特に時間の側面がなかったら、山や海はないということです。
 私たちは山や海というものが、何か永遠の象徴のように思うのですが、しかしそれは絶えず動いているし、そして時があるからこそあるわけです。
 今日の科学でわかってきたことですが、例えばヒマラヤ山脈も大陸のプレートとプレートがぶつかり盛り上がって山脈になっているので、だから時とその働きがないとヒマラヤ山脈もないのです。実は海も、もともとの地球は火の玉状態だったらしいですから、四十六億年前にはなかったし、最初にできた時の海は今のような海ではありませんでした。それに大陸が移動しますから、昔は七つの海ではありませんでした。
 時があり時の働きがあるから、山があり海がある。そういう意味では、山も時であり、海も時です。だから「時にあらざれば山海あるべからず」で、もし時がなかったら山や海もない。その山海には時の働きの今の姿・「山海の而今」があるけれども、しかしそれは時の働きとしてある。すなわち、時というものがあるから山や海もあり、もし時が不滅なら山や海も不滅なのだと。
 そういうことがあるから、ある時に覚りの象徴としての明星の出現があり、そこで覚った存在である如来が出現するわけです。お釈迦さまが覚った時、長い禅定の果てに、ふと明け方の東の空から明星が上がってくるのが目に入ったというエピソードがあって、それは金星に象徴される宇宙と私が一体だと覚ったということでしょう。
 また、そういうことがあるから、ほんとうのものが見える仏の眼が出現し、拈華微笑も出現したと。拈華微笑とは、お釈迦さまが蓮の花を何も言わないで捻り、摩訶迦葉がそれを見てニコッと笑って、するとお釈迦さまが「お前はわかっているな」と言ったとされる、言葉ではないものを通じて覚りと覚りが繋がったことを伝える禅のエピソードですが、それも時があるから成立します。
 「これ時なり」、すべての事柄は時があるからこのように現象する。それは時間としての時だけであるのではなくて、時即存在・存在即時、すなわち有時として時があるということです。そうした有時の時という側面での働きがなかったら、これらのことは起こらない。「時にあらざれば不恁麼なり」です。
 よく申し上げるのですが、確かに時があって無常だから人は死ぬけれども、時があって無常だから赤ちゃんが生まれてくる。そして、無常だから桜が散るけれども、無常だから桜が咲くのです。無常でなかったら、ずっと冬のままで桜は咲きません。無常だから春になると桜が咲き、やがて散っていきますが、必ずまた来年咲きます。桜は咲いていなくても、五月になったらつつじが咲いたり藤の花が咲いたり、そして夏になったら青葉になったり、秋になったらコスモスが咲いたりします。
 それらが全部、有時・存在即時としての宇宙の、時という面での働きがあるからこそ起こるのであり、その働きがあるからこそ、私たちは学ぶこともできるし、覚ることもできるのです。

(以下、本誌にて掲載)

「私がここにいるわけ」――高校生に語るコスモロジー 7

交流会員 高世 仁

 私の甥っ子で、落ち込みがちな高校二年の男子、宙(そら)くんに、伯父の私がコスモロジーを語っていくという設定です。
・・・・・
 宙くん、新年おめでとう。
 といっても、元旦から能登半島の大地震で、大変なことになってるね。パレスチナのガザでは恐ろしい虐殺が止まらないし、ぼくもいたたまれない気持ちになる。
 悲惨な映像を観ると落ちこんじゃうから、なるべくテレビニュースは見ないようにしてるって? そうか、宙くん、繊細なとこあるからな。
 人の不幸に心を痛めるのは人として大事なことなんだけど、感情移入しすぎて「うつ」にならないようにしよう。それって不幸な人を一人増やすだけで何の足しにもならないから。それより、宙くんができることを探してやってみたらどうかな。たとえば、お小遣いから寄付してみるとか。友だちとディズニーランドで遊ぶくらいのお金をさ。

  日本人が〝やさしい〟のは幻想?

 寄付で思い出したんだけど、人助けの世界ランキングがあるんだ。
 イギリスの慈善団体が、過去一カ月に、①見知らぬ人を助けたか、②慈善活動に寄付をしたか、③ボランティア活動をしたかの3項目を世界各国で質問して、その回答を毎年ランク付けしている。「世界寄付指数」(World Giving Index)っていうんだけど、順位の高い方がより人助けをする国ということになる。宙くん、日本はどのあたりにくると思う?
 平和を愛するやさしい国民だから上位にくるって? たしかに、「地球にやさしい」とか「お肌にやさしい」とか、日本人、〝やさしい〟のが好きだよね。
 あのね、2023年版(調査は22年秋)のランキングでは、142カ国中139位。ガーン! ビリから4番目なんだ。世界には、内戦が続いてたり、飢死する人がいたりする国もある。明日のご飯を食べられるか分からない人が人助けするのは難しいよね。だから、比較的暮らしに余裕のある先進国の日本が、カンボジア(136位)やアフガニスタン(137位)より下の最下位すれすれって、すごく恥ずかしい。実は2021年度には、日本がほんとの最下位だったんだ。
 ランキングの推移をずっと見てったら、日本の順位がいちばん高くなったのは2012年。そう、その前年の2011年の3月に東日本大震災があった。宙くんは小さかったから覚えてないだろうけど、東北を助けようとたくさんのボランティアが被災地に入ったり、あっちこっちで寄付を募ったり、〝絆〟という言葉や「花は咲く」なんて復興ソングが広がったりして、日本が一丸となって「助け合おう」という雰囲気があった。調査はその年の10月、支援ムードが盛んだったころに行われた。で、日本のランキングはというと、145カ国中85位。あれだけ盛り上がっても、世界では下の方なんだ。これ見ると考えこんじゃうよ。
 ちなみに最近は6年連続でインドネシアが1位。豊かな先進国でもないのになんで? と興味をひかれるけど、その話はまた今度。

 ついでにもう一つ、宙くんをがっかりさせる調査結果があるんだ。アメリカのPew Research Centerという機関が、「政府は貧しい人々の面倒を見るべきか」という質問を世界47カ国でやったんだ。この質問に「同意する」、つまり面倒を見るべきだと答えた人の割合が、日本は59%で世界最下位だった。最も高かったのはスペインで96%。その他、イギリスが91%、中国は90%、韓国は87%だった。
 ということはね、さっきの結果と合わせると、日本人は、自分で他人を助けないだけでなく、貧しい人を政府が助けることにも4割以上が反対してるということになる。ひどいね。めっちゃ冷酷。ぼくもその日本人の一人として、ほんとに恥ずかしいよ。

 ぼくたちは、いまの自分たちのありようが〝フツー〟であたりまえと思っているけど、こうして他の文化圏や他の民族と比べることで、はじめて自分が何者かを知ることができる。結果、世界的に見たら、日本はぜんぜん〝フツー〟でもあたりまえでもなくて、とんでもなく心が荒れた国になっていることがわかる。認めたくないけどね。
 でも、よく考えてみると、思い当たることもある。こないだ定年退職した友だちをねぎらう集まりに行ったら、「おれたちは逃げ切れるよな」と言ってみんなで笑ってた。「逃げ切り世代」という言葉があるの、知ってる? ぼくたち、70代から60代で、豊かな社会保障を受けながら、今後の財政危機による負担増大をこうむらなくて済む世代のことなんだけど、よく考えると自分勝手なひどい話だよね。若い世代に負担を押しつけて、自分たちだけ得をして逃げ切る。「あとは野となれ山となれ」と言ってるのと同じだよ。

(以下、本誌にて掲載)

編集後記

 日本も世界も新年を寿ぐのは難しい情勢ですが、読者の皆様には、本年もどうかよろしくお願いいたします。
 岡野主幹の講義録『『正法眼蔵』「有時」の巻は、今号が最終回となりました。今回の個所は特に原文が難解で、禅問答の有名なエピソードをも換骨奪胎し、道元流に深く自在に読み込んでいます。覚りを徹底し、それをギリギリまで表現し伝えようとした道元の、言葉の徹底した相対化ぶりが実感できます。また、逆説的に言葉をいかに大切にしていたかがわかる箇所でもあります。それだけに、坐禅の深い体験に基づく解釈・解説がなければ、理解はまず難しいでしょう。繰り返しのようですが、本連載は道元理解にとってかつてない画期的なものであるはずです。次号からは「梅華」の巻が始まります。ご期待ください。
 高世さんの「高校生に語るコスモロジー」では、現代日本の精神荒廃が世界的に見て突出していることがデータ的によくわかり、新しいコスモロジーの、特に日本における必要性が端的に理解できる重要な内容となっています。
 羽矢先生の「仏弟子たちのことば」は、今回からパンタカ兄弟(弟は周利槃特)についてです。
 増田さんは今回、ウィルバーの四象限理論の「状態」の概念説明と、持続可能な社会に向けた適用について語られています。
 毛利さんは、コスモロジー心理学に出会うまでの人生の歩みを語られており、同世代としてとても共感しました。

(編集担当)

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