会報誌「サングラハ」第205号(2026年1月)について

会報誌「サングラハ」今号の内容についてご案内致します。

2026年1月25日発行、全頁、A5判、700円

目次

目次

目 次
巻頭言 ……高世仁 … 2
近況と所感 ……岡野守也 … 3
仏教と科学の融合(2) ……岡野守也 … 4
般若経典と日本の心(1) ……岡野守也 … 14
サンカーラの発見(8) ……羽矢辰夫 … 24
ウィルバーが描く未来の仏教
―Integral Buddhism and the Future of Spirituality を読む(6) ……増田満 … 26
『アダルトチルドレン』考(6) ……杉山喜久一 … 34
私のサングラハでの学び ……森哲史 … 38
サングラハと私(19) ……三谷真介 … 39
講座・研究所案内 …… 47

巻頭言

研究所主幹代理 高世 仁

まあ、俺たちはなんとか逃げ切れるよな」
退職を迎えた旧友をねぎらう集まりで、一人がふと漏らしました。周囲もそれに同調するように頷いていました。私たちは、いわゆる「逃げ切り世代」。豊かな社会保障を享受し、今後予測される財政危機や負担増大の荒波を、自分たちは被らずに人生を全うできる。そんな安堵が混じった言葉です。しかし、それは「あとは野となれ山となれ」と同義にも聞こえ、胸の奥に小さな棘のように引っかかりました。

こうした考えの根底には、「死んだらおしまい」という死生観があるのでしょう。自分が生きている間だけ楽しめばよい。自分が消えた後の世界など知ったことではない。一見、合理的で自由な生き方のようですが、それは刹那的な享楽主義や、ニヒリズムにつながっています。
岡野主幹からは「死んでもおしまいではない」と教わりました。それは死後の霊魂が存続するとか、天国へ行くといった話ではありません。私たちは、計り知れないほど多くの「縁」によって生かされており、そのつながりは自分という個体を超えて続いていく、ということだと思います。
最近、私は孫を授かりました。小さな体を腕に抱くと、言葉にならない愛おしさがこみ上げてきます。そして自然と、「この子のために、少しでも良い世の中を残してやりたい」と思う自分がいることに気づきます。難しい理屈で考えたわけではなく、ごく当たり前の感情として、、未来に対する責任のようなものが芽生えてきます。そして、その「少しでも良い世の中」は私一人ではつくれません。みんなと一緒に力を合わせなければなりません。
これは、縁起―「つながり」への小さくも実感をともなった入口ではないでしょうか。自分が今ここに生きているのも、数えきれないご先祖の命がつながってきた結果です。そして、その延長線上に、今、孫の命があります。
個人としての私は、いつか必ず死ぬ。しかし命は、無限の関係性の中でつながっていく。そう実感したとき、「死んでもおしまいではない」という言葉が無理なく胸の内に収まったのです。
今度また、あの「逃げ切り」を口にした友人に会ったら、こう声をかけてみようと思います。「お孫さんは元気かい? かわいいだろう」。彼が孫の柔らかい頬を思い浮かべ、その未来に思いを馳せるとき、そこにはきっと、新しい「つながり」の会話が始まる予感がしています。

近況と所感

研究所主幹 岡野守也

明けましておめでとうございます。
 おめでとうございますとは言いにくい時代ですが、それでも生かされているだけでもありがたいという意味で、あえて「おめでとうございます」と申し上げることにしたいと思います。
 今年も関係者のみなさん、そしてすべての人、すべてのいのちのご無事を心からお祈りさせていただきます。
 現象としてはとてもおめでたいとは言いにくい時代であっても、縁起―空―一如、すべてはつながっていて、区別はあっても分離した実体ではなく、究極のところすべては一体である、という本質的真理は厳然とした事実だと思われます。
 だから、現象世界も平和と調和に満ちたものであるべき・になるべき・きっとそうなるはずなのです。
 改めて、そこにそしてそこにだけ、この困難な時代の、否、あらゆる時代の希望の根拠があるのだと思います。
 そのことをはっきりと認識し言語化しているところに、私たちの研究所の存在意義があるのだ、と筆者は考えています。
 どうすればその認識が多くの人に共有されるのかが次の大きな課題ですが、ともかく考えつくありとあらゆる方法で伝えていく他ないのではないでしょうか。
 筆者は相変わらず病いとの取り組みという修行を継続していて、残念ながら微力ですが、言うまでもなくこれは私一人がやるべきこと・できることではありません。
 皆さんのお力をお借りして今年もご一緒にありとあらゆる手を考えながら、精進・努力させていただければ幸いです。
 ご参加・ご協力を心からお願いたします

般若経典と日本の心 1

研究所主幹 岡野守也
(冒頭のみ抜粋)

長く続けてきた『正法眼蔵』講義録はいったん休載し、今号から「般若経典と日本の心」をテーマにした講座(二〇二〇年)の講義録を掲載していきます。近代化以後、特に戦後揺らいできた日本人のアイデンティティは、世界の危機がますます深まる中で、崩壊寸前のところまで到っていると思われます。今こそ、右でも左でもないほんとうの「日本の心」とは何だったのか、捉え直す必要があります。
筆者は、日本人の心のベースには神仏儒習合の精神があり、またその核心には大乗仏教の「智慧と慈悲」の理想があったと考えています。中でも『仁王般若経』『金光明経』と天武天皇、『大般若経』と聖武天皇等、「般若経典」は、飛鳥以来、日本人、特にリーダーたちの心を深いところで育み支えてきました。
そこで語られている、縁起、空、無、如、慈悲、菩薩についての教えは、私たち現代の日本人にとっても、右左の対立を統合した揺るぎないアイデンティティの再発見・再確立の基礎になると思われます。
そのエッセンスをご一緒に学んでいきたいと思います。

三つのレベルの自己肯定感

こんにちは。前回の講座から長く間があきましたが、お久しぶりでした。お元気だったでしょうか。ちょうど新型コロナウイルスによる肺炎が大流行の兆しで、「不要不急の外出は避けてください」と言われる状況の中、不要不急ではないとご判断いただいたのだと思います。有難うございます。
サングラハ東京講座「般若経典と日本の心」ということで、学びをご一緒に進めていきたいと思います。長いリピーターの方と、それから初心の方といらっしゃいますので、復習も含めて、この講座がサングラハ教育・心理研究所の一連の講座の中で、どういう位置を占めているのかという話から始めたほうがいいかなと思いまして、その話からまず行きたい思います。
サングラハでは今まで全体に、社会の一般的な捉え方で言うと、心理学、特にセラピーと、それから仏教という、大きくこの二つの領域をそれぞれにやってきました。それから特にサングラハの特徴は、他のセラピーにない「人間が宇宙の中にあって、どういう存在であるか」ということを、体系的にお伝えすることによって、心のいちばん深いベースを作っていくというところにあります。かつて「コスモス・セラピー」と呼んでおりましたが、一昨年から「コスモロジーセラピー」と呼ぶことにしています。
それから、今まで仏教、特に「唯識心理学」という形で語っていたものも全部、自分の中でしっかりと統合された感じがありますので、それを全部まとめて「コスモロジー心理学」という名前で呼びたいと、みなさんにお伝えをしてきました。そして、そのコスモロジー心理学を、セラピー的にやる時には「コスモロジーセラピー」と呼び、心の成長促進や病の予防というふうに教育的にやる時には「コスモロジー教育」と呼びたいと。そうした、トータルなコスモロジー心理学の一環としての講座という位置づけであることを、最初に確認的にお話ししておきたいと思います。
「自己信頼」や「自己肯定」、「自己意味感」などいろいろな言葉が使えますけれども、要するに私たちが自分の存在を信頼できるということを、コスモロジー心理学では、従来の一般的な「自信」という言葉を使いながら説明し、ほんとうの自信を私たちが身につけるためには何が必要かを明らかにしていきました。細部にわたってアカデミックにやることには、優れた面もあるのですが、時に問題もあり、実践的・実用的には必ずしも必要ではないし、適切でもないと私は思っていまして、大まかに三つのレベルで捉えることのほうが、有効だと考えています。
まず、「私は私だ」と思っている自己意識のレベル、個人意識のレベルですが、そうした個人的なアイデンティティのレベルというのは、臨床心理学等で通常最も扱われるところです。そういう個人レベルのところも一定程度、特にアドラー心理学や論理療法などを吸収・統合しながら扱って来ました。
それから、現代の私たちの自信というか自己肯定感をいちばん脅かしているものは、実は「自分が世界・自然・宇宙の中でどういう存在か」という宇宙レベルの問題だと私は捉えていまして、詳しい話をすると、またそれだけで長い長い話になるので、要点だけ申し上げます。
戦後、日本は近代化されました。自分でしたという面もありますが、「された」という面もとても強くあって、ともかく近代化のプロセスで、近代の理性・合理性によって科学的にものを考えることが正しいというのが、社会のスタンダードになりました。これは今でも変わりません。そのスタンダードは、子どもたちに教育されるというか、ある意味で洗脳されていく内容なわけです。
そのいちばんの問題点は、世界は科学的に分析していくと物質に還元されてしまい、突き詰めて考えると「要するにすべてのものは―ということはつまり私も―物質の組み合わせにすぎない」と思えてしまうような世界観にあります。学校の先生も、マスメディアも、文科省もそう言っていて、それが社会的に正しいことだと教え込まれてしまう。すると、子どもは世の中がどうなっているのかをあらかじめ知っている存在ではありませんから、教わらないと学習できないし、大人が言っていることは真に受けるわけです。
それを身につけてしまい、突き詰めて考えると、「すべては物質にすぎない。今生きているのは、その物質が組み合わせで一種機械のように動いているだけで、いつか故障し解体して、バラバラになっておしまい」となってしまいます。心も脳という物質の働きにすぎないので、死んだ後には心はないことになっているんですね。そうするともう、要するに死んだらおしまいです。「物質にすぎない」「死んだらおしまい」、そして「意味というものも死んだらおしまい」となると、意味もそこでは存在するとは言えませんから、「最後のところは、人生というのは意味がなくなってしまうんだ」と。
「いのちがなくなり、意味がなくなる。そういう仕組みになっているいのちというものは、実は生きている間だって、突き詰めたら意味はないんじゃないか」と考えると、生きていることにも意味がないというニヒリズムになってしまう。それが最大の問題で、ここのところを何とかしないことには、実は現代人の心のいちばん底のところでのニヒリズムを克服することができません。そしてそれは可能だということで、このレベルをいわばコスモス・セラピーの「売り」でやってきました。
そして人間は群れをなす動物ですから、社会・集団の中で自分がどういう存在であるか、あるいは自分の所属しているのがどういう集団・社会であるかも、実は「自分」ということと深く関わっています。わかりやすい言葉で言うと、自分に自信を持つためには「自分たち」にも自信を持つ必要がある。「自分たちはダメだけど、自分だけはいいんだ」と思うのは、すごく難しいんですよ。だから、何をもって「自分たち」というかの幅はいろいろありますけれども、とにかく人間は「自分たちはいい存在だ。だから自分もいい存在なんだ」というふうに思うことが、ぜひとも必要な生き物なのです。
それが下手をすると、排他的な愛国主義に結びついてしまうことになるのですが、では「自分たちはダメなんだ」と言っていれば自分や自分の集団がよくなるかというと、それではよくならないわけです。
(以下、本誌をご参照ください)

編集後記

新年となりましたが、残念ながらおめでたいとはとても言い難い世界の状況にあります。主幹からは療養の中、今回も「近況と所感」をいただきました。そこにあるとおり、当研究所のメッセージがますます重要となっていることを強く感じます。今年も会報購読の他、Zoom講座への積極的な参加等、皆さまの御協力をぜひお願いいたします。研究所存続の支援ともなります。
 これまで仏教の中・上級編として『正法眼蔵』講義録を続けてきましたが、一旦休載し、今号から、主幹のライフラークの中でも、今後の日本そして世界にとって重要となると思われる「般若経典と日本の心」の講義録をスタートしました。天皇を中心とした古代史を語ることは、かつても今も政治的に微妙なものがあるものと思われます。しかし注記すれば、これは「古代の天皇がいかに偉かったか」というようなありがちな話ではなく(私たちが思うより、はるかに賢明なリーダーであったことは確かなようですが)、古代日本が聖徳太子以来、大乗仏教の精神による国づくりを本気で志したことを示した、これまでにない妥当な歴史の読みだと思われます。引き続きご期待ください。ほか、各筆者の方の記事も大変充実した新年号となっております。 (編集担当)

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