青土社 (2013年1月20日発行、四六判、286頁、本体2,200円〔税別〕)

 ◆書評『ストイックという思想』 (2013年3月10日付 評・小池龍之介氏)

 昨年11月に出した『コスモモロジーの心理学』(青土社)以来1年ぶりに新しい本を出します。
  『ストイックという思想――マルクス・アウレーリウス『自省録』を読む』(青土社)という本です。
  内容紹介として「あとがき」の一部を転載します。
 
  古代ローマの賢人皇帝マルクス・アウレーリウスの残した言葉が、今さまざまな困難をかかえた時代を生き る私たちにとって、くじけることなく強く生きる、生き抜く、生き切ることのできる心を持つための大きなヒントに なるのではないか、と思ったのが本書の元になった講義を始めた動機でした。
  二〇一一年三月十一日の東日本大震災そしてそれに続く福島原発の事故は、日本人の誰にとっても大き な衝撃だったのではないでしょうか。そして復旧―復興も十分にははかどっておらず、原発事故は本当には収 束などしておらず、その社会的・経済的・心理的衝撃は、直接被災していなくても、心の傷、痛み、不安、無力 感、絶望といったかたちでいまだに強い余震のように私たちの心を揺さぶっています。
  あまりにも過酷な出来事に遭遇してしまった時、人間の心は自分を防衛するために無意識的にいろいろな メカニズムを使うことは精神分析が明らかにしたとおりで、例えば意識の底に押し込めてしまう「抑圧」、なかっ たことにする「否認」、他人事のように思いなす「隔離」、あるいは大人としての対応ができなくなる「退行」など などがあります。
  そうした防衛メカニズムは一時的で度を越さなければ心の健康を守るためのやむを得ない正常な反応です が、度を越し長引いてしまうと、自分を守るどころかかえって心の病を発症すると言われています。過酷な出来 事が過ぎて、防衛メカニズムでやりすごす時期が過ぎたら、つらくても出来事の記憶に意識的に直面し自分の 人生体験の一部としてしっかり受容・統合する必要があるとされています。
  しかし、大変な出来事(およびその記憶)にただ意識的に直面しようとするのはまさにあまりにも過酷であっ て、直面してそれに耐え切り、それを受け止め受容するためのベースになる考え方・思想・世界観(コスモロジ ー)が必要なのではないか、と私は考えています。
  まして、出来事が一時的なことでなく長引く過酷な状況にまでなっている場合はますますそうだと思われま す。そして、問題山積の現代の日本では、全体としての状況はすでにかなり厳しく、次第にさらに過酷になり長 引きつつあるのではないでしょうか。
  そうした状況の中で生き抜き、生き切るために、マルクス・アウレーリウスが拠り所としてストア派哲学=スト イシズムが私たちの心の拠り所になりうるのではないか、と私は考えています。
  生きる理由は楽しみ・快楽にあるという思想を快楽主義といい、それに対して生きる理由は自分のなすべき こと・使命(ミッション)を果たすことにあるという思想をストイシズム・ストア主義といい、それは一般的に理解さ れている「禁欲主義」というよりもっと大きく深い意味を持っています。
  今の日本では「ストイシズム」「ストイック(ストイシズム的)」という言葉は、例えばスポーツ選手や芸術家など が夢・高い目標を実現するために目先の楽しみや楽さを犠牲にして禁欲的に努力するという意味に取られて います。もちろん、そういうストイックな生き方もすばらしいと思いますが、本来のストイシズムは個々人の夢や 目標ではなく、社会が必要とする仕事・公務(ミッション)を自分の損得、好き嫌い、快不快を超えて果たし抜く ことに人生の意味、真の自己充足、満足感――それをストア派的=ストイックな幸福と言います――を見出す という思想です。
  今、厳しい時代の中で、大人であれば誰でも果たすべき社会的責任を持っており、そういう意味では大人は みな公務(ミッション)を担う公人であると言えるのではないでしょうか。そして、自分の置かれた場所で、退行 せず、隔離せず、否認せず、抑圧せず、事態に凛として直面し、自分の責任を果たし切るところに公人として の誇り・大人の幸福を見出すことは、やさしいことではなくても不可能ではないと思われます。
  楽や快楽を求めるよりも、凛として勇気を持って自分の責務・公務を果たし、生きられるだけ生きたら爽や かにこの世を去っていく、それが人間の生き死にする意味であり、しかもそれは無になることではなく大自然・ 宇宙に帰っていくことだ、とストア哲学は語っています。
  繰り返すと、私が宇宙の中に生まれて来た理由は、宇宙から与えられた使命・公務を果たすことにあり、死 はその宇宙への帰郷である、というストア派の世界観(コスモロジー)は、困難な時代のローマ皇帝ほどではな いにしてもそれなりの公人である私たちの心の支えにもなるのではないか、というのが、震災そして原発事故 の直後、本書の原形となった講義(「サングラハ教育・心理研究所」第三五期オープンカレッジにて二〇一一 年四月から七月まで計七回行)をし、そしてそれを元にした雑誌連載(機関誌『サングラハ』の第一一六号・二 〇一一年三月から第一二三号・二〇一二年六月まで)を行ない、さらにそれを徹底的に推敲して本書の原稿 を書いた動機です。
  筆者が、ストア派哲学、それを自ら生きたマルクス・アウレーリウスのまさにストイックな言葉と生き方に、読 む度に受けてきた爽やかな感動を、読者にもお伝えできたら大きな喜びです。
(研究所主幹ブログより転載)

 第16代皇帝マルクス・アウレーリウス・アントニヌス(紀元121-180年)は、ギリシア以来のストア哲学に傾倒 し、五賢帝のひとりに数えられるが、じつは書斎の人ではなく彼の治世のほとんどは帝国周縁部での異民族と の戦いに費やされた。彼が皇帝としての職務を果たしながら、先頭の合間あいまに哲学的・人生論的所信を 書き記した『自省録』は、現代でも多くの読者に読み継がれてきたストア派の古典的名著である。 
(同書帯の解説より)
 


  
 青土社 (2012年12月16日発行 300頁)

 ◆著者インタビュー記事 東京新聞(2012年1月22日付)
  今、たくさんの現代人が感じている「生きづらさ」のいちばん底には空しさ・ニヒリズムの問題が潜んでいる と思われます。他に社会的な理由はいくつもあげられるのですが、もっとも深い理由はそれであり、それがい ちおうふつうに生活している人にも、「半健康」と呼ばれるような、さまざまな心や体や行動の不調を生み出し ている、と筆者は考えてきました。
 (そもそもニヒリズムは、実は近代という「時代の病」の内的な側面であり、今回の原発事故・放射能汚染も 含む環境破壊という外的な側面とも深く関わっていることについても、本文中で若干ふれます)。
「コスモス・セラピー」は、そうした生きづらさ――ニヒリズムやそれがもたらす不調や症状をいちばん深い根か ら取り除くことを目的とした心理療法的思想・思想的心理療法で、治療ではなく予防や心理的健康の促進を目 的に行なう場合は「コスモロジー教育」と呼ぶこともあります。
 まず社会人が参加するワークショップで十年あまり実験的に行なってまちがいなく効果があることを確認し、 やがて機会が与えられて大学でも授業として実践できるようになり、十年以上続けて大きな効果があることを さらに確認してきました。
 コスモロジー教育としては、いくつもの私立の中・高等学校で実践してくださる方があり、生徒たちのやる気・ 勇気・自信すなわち心理的健康度を高める上で大きな成果があがっているという報告を受けています。
 そうした実績・事実に基づいて、この本は、本気で読んで実行していただくと、あなた自身やあなたの大切な 人(子ども、家族、友人、生徒、学生、部下など)の人生観・世界観が一八〇度変わり、「ほんとうの自信」・「生 きることそのものへの自信」が身につくことになる――その結果、心や体や行動の症状や不調のかなり多くが 解消または改善され、心理的健康が促進される――と自信を持って言いたいと思います。
 例えば、初めての授業で、「本気で授業を受けていたら、半年か一年で、まるで変わるかもしれないよ」と予 告するのですが、相当多数の学生が「そんなー!?(信じられない)」という反応をします。ところが、半年後、これ また相当多数の学生が「そんなー1?と思いましたが、先生の言ったとおりになりました」と感想を書いてくれま す。それに「ちょっと悔しいけど」と書き添える学生もいます。どこか私に変えられたという感じ・誤解があるから でしょう。ほんとうは、私が伝えた新しいコスモロジーを通じて自分が自分で変わったのですが。
 典型的なエピソードをあげると、初めて大学に毎週講義に行くようになった年、数回の授業が終わった後、 やや幼い顔をした女千学生が、その顔に似合わない本気で深刻な表情で質問に来て、「先生、私は、考えれ ば考えるほど死にたくなるんですが、友達に相談したら、『バカ、考えるから死にたくなるんだ、考えるのはや めろ』と言われました。やっぱり考えないほうがいいんでしょうか?」と言うのです(その後、次第にわかってき たことですが、彼女のような死にたくなる若者、心を病んでいる若者が驚くほど多数いるのです。統計を見ると 大人もです)。
 そこで筆者は、こう答えました。「戦後、ぼくたちやきみたちが学校で教わってきたことを元にして考えると、 考えれば考えるほど死にたくなるんだけど、これから、考えれば考えるほど死にたくなくなる、それどころか生 きたくなる考え方を伝えるから、あわてて死にたがらないで、がんばって授業に出ておいで」と。
 するとその後、彼女はがんばって続けて授業に出てきて真剣に聞いている様子で、回を重ねるにつれて目 が輝いてくるので、そっとして深追いはしないで前期末まで待ってから、「どう、まだ死にたい?」と聞きました。 すると、彼女はニコリと微笑んで、「だいぶ死にたくなくなりました」と答えてくれたのです。そして、さらに学年末 にはすっかり元気になっていきました。
 社会人であれ学生であれ、同じような、あるいはもっと劇的な変化の実例(リストカットが止まった、自殺願望 がなくなった、不登校ぎみ、拒食・過食、軽うつが治った、その他診断名はいろいろですが、ともかく精神科へ 通わなくてよくなったなど)は無数に挙げることができますが、臨床心理学の専門書ではないので、重いケース の報告は避け、ほんの数例、学生が書いてくれた感想文を紹介します。

……授業を受けた後に何というかこの心が軽くなり安らぐというか、言葉では表しきれないすっきりとしたすが すがしさを感じています。……

 ……「全宇宙と私の一体性」の思想を授業で学び、なんというか言葉では表せない心地よさを感じました。正 直に感動できたのは、それがなんら科学的にも矛盾することのないものだからだと思います。……あらゆるも のと、「つながり」を感じながら生きるということはとても素敵なことであり、大変心地良いです。……

 ……宇宙も自分も昔は一つのもので、今も一つなんだということに気付けることがこんなにも素晴らしいもの だとは、思ってもみませんでした。そのことによって意味のないものなんてない、すべてのものに意味があると 思えるようになり、なんだか心の中がスッキリ晴れやかになった気がします。……

 ……こういった話を聞いてきて、今までにないような気持ちになりました。どう表現すれば良いのかよくわかり ませんが、心が晴れたというか、壁が崩れたというか、自分の中の世界が広がったような感じをうけました。世 の中の全てのものはつながっている、全ての事が起きることはつながりがあるからだ、というのはなぜか安心 するというか、気が楽になるような印象をうけました。このおかけで自分がなぜここに存在するかも考えられる ようになり、またその意味も少しずつわかるようになれてきていると思います。また、他の「人」だけでなく、地球 上全てのものに対する見方も少し変わったと思います。……

 これまで何百人もの参加者や学生が、こうした特徴的な感想を述べてくれました。「心が晴れた」「安心した」 「気が楽になった」「心が軽くなった」「安らぐ」「すっきりとしたすがすがしさ」「心地よい」「スッキリ晴れやかにな った」「生きる希望が見えてきた」……。読者もそうなるかどうか、ぜひ続けて本文を読んでみてください。
(同書「まえがき」より)  


 
     発行 太陽出版/企画・編集 ザ・ブック 
    (2011年7月12日発行 四六判 296頁)
 三・一一の大地震―津波―原発事故以前も、これから日本はどうなるのだろう、どうしたらいいのだろう、自 分には何かできるのだろう、と不安・とまどい・問いをもっていた心ある市民・国民はたくさんいたのだと思う。し かし、とはいってもとりあえずしばらくは何とかこの日常が続くだろう・続いてほしいと思ってきたのではないだ ろうか。大震災以降も、被災地以外では元どおりの日常が戻ってきているかのような空気(実は錯覚だと思う) もある。
 しかし少していねいに情報を収集―分析していれば、このままでは日本という国が衰退―崩壊していく可能 性は決して小さくないことに深い危惧の念を抱くことになったのではないか。それは、真実を知れば知るほど絶 望に近い恐怖にまでに高まるはずだ、と筆者は考えている。
 リーマン・ショツク、ドバイ・ショツクのあと、景気の低迷、政治の混迷は続いていて三・一一以前も、実は日本 の政治・経済・社会システムはそのままでは続かない、つまり持続不可能であることは、わかる人にはわかっ ていたのではないだろうか。自然資源の大量使用―大量生産―大量消費―大量廃棄―自然環境の大規模 汚染・荒廃という近代の産業・社会システムがエコロジカル(生態学的)に持続不可能であることは、すでに多 くの識者が指摘してきたとおりである。
 大地震―津波―原発事故、とりわけ放射能による環境汚染は、日本という国のそういう持続不可能性をあ まりにも悲惨で明らかなかたちで私たちの目に突きつけたのだ、と筆者は解している。今までどおりではもうや っていけないのだ、と。
 震災以前から筆者は、日本をいかにしてすべての国民が安心・安全に暮らせる「持続可能な国」にするか、 その道筋・大筋を明らかにするための探究を行なってきた。自分で言うのもなんだが、いわば「渾身の力を注 いで」きた。本書は、その成果の主要なしかし一部である。
 日本という国の原点・出発点は日本初の憲法つまり国のかたちである聖徳太子『十七条憲法』にある。そこ には、日本がどうすれば人間と人間の平和と自然と人間の調和に満ちた永続しうる国になれるか、国家建設 の理念・理想と実現のための基本的方法が示されていた。
 しかしそれはもちろん古代のものであるから、現代に適用するには現代の産業・経済・政治・社会システムを 具体的にどうするかのビジョンを加える必要がある。そして、世界自然保護連盟やOECD(経済協力開発機 構)など信頼しうる諸機関の国際的評価を見れば、「持続可能な国づくり」を計画的に着々と進めていて世界 の先頭を切っているのがスウェーデンであることは定評だと言っていい。
 ならば、『十七条憲法』の「和の国・日本」という原点からスウェーデンの「エコロジカルに持続可能な国家・緑 の福祉国家」というモデルの到達点へ、いわばぐいと直線を引けば、その延長線上に、これからの日本をどう 復興・再生し、持続可能な国にしていくか方向が明らかになるはずである。本書は、そのことを七回にわたって 述べた講義録である。
 元の講義および雑誌連載は、三・一一以前のものなので、原発のこと、復興のためのアイデアなどは十分書 き込まれていない。しかしそれらをも含む「日本再生」の大筋を示す指針としてはこれで十分だと思う。そして、 確かに絶望に近い状況ではあるが、こうした指針に沿って日本人が本気で行動すれば、まちがいなく希望も 見えてくるはずである。
 ……と大上段に振りかぶった筆者の構えをどう受け止めてくださるかは、もちろん読者にお任せするはかな い。
 最後に、元の原稿を読み、現時点での出版の意義を見出してくださった潟U・ブックの山下隆夫社長に心か らの感謝の意を表したいと思う。
 (同書「はじめに」より引用)   


    2011.6.15
  長い間品切れになっていた拙著『大乗仏教の深層心理学』が新装重版で再刊されることになりました。
 新装重版に際して次のようなあとがきを書きました。

 新装版によせて
 東日本大震災から一ヶ月という状況の中、お知らせがあり、新装版として刊行していただけることになった。 品切れで読者に不便をおかけしていたので、とても喜んでいる。
 初版は一九九九年だから、振り返れば暦が一巡りしたことになる。
 この間大きく変わったことの一つは、筆者も呼びかけ人の一人となり多数の賛同者を得て、二〇〇九年十二 月、「日本仏教心理学会」が設立されたことである。刊行当時、アカデミックな世界では仏教と心理学の「対話」 や「比較研究」はありえても「統合」はありえないという空気が漂っていたが、いまや相当数の両分野の専門家 がその方向に向いつつある。それは、現代人の心の癒し・救い・成長・変容は仏教・東洋だけでも心理学・西 洋だけでも実現できない、両者の英知の統合にこそ可能性があるという気づきがアカデミズムにも広がりつつ あることの現われと捉えてまちがいないだろう。
 もう一つそれと重なり、近代的な自我意識とそれに基づく社会システムの限界が明確になったことである。と りわけ地震―津波の激甚被害、中でも原発事故は、「人間は近代的な理性・科学・技術によって自然を人間 の都合に沿うようコントロールし無限の経済的成長を遂げていくことができる」という思い込みの不可能性を、 悲惨なかたちで目に見えるものにした。日本人は大自然への畏怖と畏敬の念をみごとなまでに忘れ切ってい たのではないか。
 近代的自我と社会システムは不可分な相互関係にあり、両者が共に超えられることなしには、現代社会の 諸問題が根本的に解決されることはないと、長年、筆者は主張してきた。
 本書も「仏教書」というより、近代的意識を超えてその先に進むための決定的に重要なヒントとして、大乗仏 教の深層心理学ともいうべき唯識――その代表的古典である『摂大乗論』を読み解くことを試みた、いわば 「思想の書」であり、そういう意味で、この状況の中で再刊される意味は大きいと自分では思っているが、もち ろん評価は読者に委ねたい。

  二〇一一年四月
                                                  著 者       





(2010年10月 佼成出版社刊 四六判)
 本書は、仏教と心理学・心理療法(本書ではアドラー心理学=個人心理学)を統合したかたちで活かして使う ためのヒントになることを目指しています。
 専門家だけでなく、心の問題について関心のある一般の方にも実際に役立てていただけるものにしたいとい う意図から、できるだけわかりやすく書くことを心がけました。けれども、内容の水準は落としていないつもりで すから、仏教と心理学どちらの分野の専門家の方にも参考にしていただけるのではないかと思っています。
 現代日本の社会には、うつ、神経症、心身症、不登校、引きこもり、リストカット、自殺、いじめ、非行、薬物 依存などなど非常に多様で深刻な心と行動に関わる問題が山積しています。
 なぜそうした問題が起こっているのか、どうすればいいのか、仏教と心理学(特にアドラー)を統合したアプロ ーチによって、適切で有効な理解と対処(特に予防的対処)が可能になるのではないか、と筆者は考えていま す。 ……
 タイトルは「仏教とアドラー心理学」ですが、述べる順序は、最初に両者の統合について、続いて心の発達段 階に沿ってアドラー心理学が先、仏教が後というかたちにしました。それぞれ独立にアドラー心理学と仏教の コンパクトな入門書としても使っていただけると思います。 ……
 人間の心の発達が自我以前から段階を経て自我の確立に到るということは、仏教者も心理学者も認めると ころでしょうし、一般の方々も体験的におわかりのとおりです。
 しかし問題は、発達のプロセスはかならずしも順調に進むとはかぎらず、しばしば自我の確立に失敗するこ とがあります。先にあげたような心の問題は主に社会に適応できる正常な自我の確立に失敗したことから生 まれていると考えてまちがいないでしょう。
 心理療法の目的は、まず確立に失敗し困難に陥っている自我を再確立し、正常な社会生活ができるレベル に回復させることにあります。アドラーも端的に「個人心理学の目標は社会的適応です」といっています。
 そして、人間の心の発達は、社会に適応できる自我を確立あるいは再確立するという段階にとどまらず、さ らに「自己実現」と呼ばれるようなより高次の発達段階に到りうることも、人間性心理学の世界では共通認識 になっています。
 さらにトランスパーソナル心理学は、自己実現を超えた「自己超越」と呼びうる発達段階が存在すると主張し ています(拙著『トランスパーソナル心理学』青土社、参照)。
 もし、そうした自我以前―自我確立―自己実現―自己超越という心の発達段階を想定することができるとす れば、アドラー心理学は主に自我の確立・再確立の段階、さらに若干自己実現の段階に焦点を当てた心の理 論と技法であり、仏教は自己超越の段階に焦点を当てた心の理論と技法である、と発達心理的に位置づける ことができます。
 そして、焦点の当たっている段階は異なっていますが、アドラーの「共同体感覚」というコンセプトと仏教の 「縁起の理法」というコンセプトに両者の本質的な接点あるいは結合点がある、と筆者は捉えています。 ……
 ……筆者の仏教、唯識関係の著書をすでにお読みいただいている方のために付け加えておきますと……本 書では、縁起についての理解、唯識における個々の随煩悩の解釈・解説、それらと根本煩悩との悪循環のメ カニズムについてなど、これまで述べていない重要なポイントについてもかなり踏み込んで述べましたので、単 なる重複ではなく、新たに参考にしていただける点が少なからずあると思っています。
  (同書「まえがき」より抜粋) 

いやな気分の整理学――論理療法のすすめ

 私が学んだ心理療法のなかでも、この件に関してかなり顕著な効き目があると思うのが アメリカの心理学者アルバート・エリスの創始した「論理療法」です。
 といっても本書は専門書ではありませんから、学問としての論理療法の全体を正確・詳細 に解説することを目的にしません。 私の学び消化しもしかしたら変化・深化させた論理療 法的な考え方を使って、私自身やまわりのたくさんの方の、困った性格……というより「心 の癖」を治すことができた体験を、読者のみなさんにもお伝えしたいというのが目的です。  (同書「はじめに」より一部抜粋)
  (2008年 NHK出版・生活人新書[258] 新書判/169頁) 
空海の『十住心論』を読む

 空海が天才であることはよく知られているが、その主著『十住心論』で実際に何が語られ ているかはほとんど知られていない。ひたすら食欲や性欲に駆られている凡夫の段階から 真言密教の究極の覚りまで、人間の心を十段階に分けて論じた、その論旨は、実は日本 精神史にとって決定的に重要な意味を持っている。空海の生涯とこの主著の、時代的、現 代的意味を明らかにした。
 (2005年 大法輪閣 四六判/350頁)
唯識と論理療法――仏教と心理療法・その統合と実践

 仏教と心理学はどちらも「心」をテーマにしている。その両者をどう生産的に統合するか。 「ものの見方を変えることで感情や生き方を変えることができる」という共通点のある唯識と 論理療法を選択し、日常生活に役立つようなかたちで統合することを試みた。前例のない 新しいシステムであるが、その有効性はすでに多くの授業やワークショップで実証されてい る。
  (2004年 佼成出版社 四六判/261頁)
道元のコスモロジー ――『正法眼蔵』の核心

 鎌倉仏教の代表的存在の一人、曹洞宗の祖師、深い思索を展開した中世の思想家とし て知られる道元の主著『正法眼蔵』は、非常に魅力的ではあるが難解な文体で書かれてい て、なかなか本当には理解されていない。その核心にあるものを、全肯定・絶対肯定のコス モロジーとして読み解いた。
  (2004年 大法輪閣 四六判/342頁)
聖徳太子『十七条憲法』を読む――日本の理想

 日本初の憲法である『十七条憲法』のなかに込められた、「和」という理想が、単なる保守 的なイデオロギーなどではなく、現代日本にとっていかに原点的に重要かつ有効であるか を読み取り、〈聖徳太子〉のイメージと『十七条憲法』のなかみが、日本人の健全なアイデン ティティの再確立のベースとなることを願って書いたものである。
  (2003年 大法輪閣 四六判/234頁)
生きる自信の心理学――コスモス・セラピー入門

 現代の科学的な宇宙像、トランスパーソナル心理学、論理療法、アドラー心理学などの成 果を統合しながら、深刻な自信喪失やニヒリズムに陥っている現代人が、どうしたら根本的 な自信を持つことができるか、理論とワークの両面からアプローチする。すでに多くの社会 人・学生を対象として行なわれ、目覚しい効果のあがることが現場で実証された方法をわ かりやすく体系的に紹介する。
  (2002年 PHP研究所 新書判/240頁)
自我と無我――「個と集団」の成熟した関係

 人間にとって重要なのは、自我の確立か無我になることかという議論・対立は、ほとんど 個人主義か集団主義かという問題と同一視された、日本の近・現代の大きなテーマである が、実はそうした対立は「無我=滅私」という概念の理解に誤解・混乱があったためである ことを指摘し、唯識における無我の理解と、ピアジェなどの発達心理的な視点、およびケン・ ウィルバーの提唱する「コスモスの四つの象限」の概念を導入することによって、混乱を整 理して、対立を解消・止揚し、個と集団のバランスのとれた関係を可能にする成熟したパー ソナリティ像を提案する。
  (2000年 PHP研究所 新書判/211頁)
コスモロジーの創造――禅・唯識・トランス・パーソナル

 宗教哲学、禅、唯識、トランスパーソナル心理学などに関わる論文の集成。中心的テーマ は、人間が何らかの世界観・コスモロジーを持たないでは生きられないこと、近代の物質主 義的な科学主義と個人主義的な民主主義が必然的に意味の次元を見失わせ、倫理の崩 壊をもたらすことを指摘し、宇宙全体の関連・つながりと重層性・かさなりの構造を捉えた新 しいコスモロジーによる、人間の生死の意味の再発見と倫理の再確立を提案している。
  (2003年 法蔵館 四六判/231頁)
大乗仏教の深層心理学――『摂大乗論』を読む 
                     ※新装重版が2011年6月に刊行されました

 唯識の立場から大乗仏教の全体像をきわめてシステマティックに理論化した唯識の代表 的な古典『摂大乗論』を現代語訳(下記)を使って概説する。とりわけ、人間の心のもっとも 深い領域としている「アーラヤ識」が、迷いの根拠であると同時に悟りの根拠としていること の意味、すなわち心の深層領域が人間の悩み・葛藤・問題の根源であるとともに、それを超 える可能性を含んでいると主張しているところに、人間の希望の根拠を読み取っている。
 (1999年 青土社 四六判/281頁)
唯識のすすめ――仏教の深層心理学入門

 NHKのラジオ放送のテキストを元にした唯識の概説書。筆者が現代の三つの大きな課 題と捉えている、戦争、環境破壊、意味の喪失について、その克服の決定的なヒントとして 唯識を解読した。唯識の体系を〇−空、一−一如、二−二無我、三−三性、四−四智・八 識、五−五位、六−六波羅蜜、∞―無住処涅槃というふうに、概念に関わる数の順に述 べ、理解と記憶を容易にすることを試みている。また、西欧の深層心理学の三大潮流、フロ イド、ユング、アドラー、及び人間性心理学、トランスパーソナル心理学との統合的理解の可 能性について要点を述べた。
  (1998年、NHK出版 ライブラリー判/404頁)


よくわかる般若心経 二七六字の本当の意味が見えてくる

わかる般若心経

 日本人がもっとも知っているようで、実はその内容を理解していない『般若心経』の「空」 の思想を、現代日本人が自らの精神的な伝統の根源にある大きな思想的遺産として再発 見・再獲得できるように、できるだけ正確に、しかし平易に解説した。「空」は最終的には体 験的・直観的に体得するほかないものだとされるが、ここでは縁起、無自性、無常、無我、 一如、苦などの概念との関わりで、言語化可能なぎりぎりの線まで語ることを試みた。
  (『よくわかる般若心経』2004年 PHP研究所 文庫判/262頁 下記水書坊版を一部 改訂)
  (『わかる般若心経』 1997年、水書坊/254頁)
唯識で自分を変える――仏教の心理学ガイドブック

 単なる難解で抽象的な教義の体系と見られがちな唯識を、人間性/トランスパーソナル 心理学などのセルフ・ヘルプの心理学のスタイルを借りて、レクチャーとワーク(実習)を組 み合わせた、人間の日々の生き方そのものに関わる、実際に使えるものに適用した。
  (1995年 すずき出版 B6判/222頁)
わかる唯識

 専門仏教用語を最小限にとどめ、難解とされる唯識のエッセンスを、人間の根源的な悩 み・煩悩とその解決・悟りの仕組みを明らかにしたものとして、一般読書人や学生にもわか るよう平明に解説した。「歴史上もっともわかりやすい唯識」と評価されている。
  (1995年 水書坊 B6判/247頁)
能と唯識

 観阿弥・世阿弥父子の座が唯識を建前とする法相宗・興福寺に属していたことを手がか りに、能とりわけ夢幻能の成立の背後に唯識教学の強い影響があることを推測し、またテ キスト上の証拠も取り出し、その上で、唯識の理論を援用して能の主要なテキストに新たな 解釈と鑑賞を加えた。
  (1994年 青土社 四六判/225頁)
美しき菩薩・イエス

 近代の歴史学・文献学的な聖書研究によって、いわば玉ネギの皮むきの如く解体された 「イエス像」を、そうした研究の成果を踏まえた上で、もう一度、現代人にとって意味ある「人 間の生き方の典型的・極限的なイメージ」として、とりわけそのイメージの「美しさ」がどこか ら生まれるかを読み取る。キリスト教徒にとっては救い主、宗教史的にはキリスト教の開祖 と捉えられるイエスを、仏教の「菩薩」の概念を援用して描き直す試み。
  (1991年 青土社 四六判/251頁 品切れ中)


唯識の心理学

 二、三ないし三、四世紀に興起した、空・中観の思想に並ぶインド大乗仏教のもう一つの 頂点と呼ばれる唯識を、現代の深層心理学・トランスパーソナル心理学的な視点から現代 的に読み解く試み。心を八つの領域に分析する「八識説」を仏教の深層心理学、人間の世 界認識の三様式を分析した「三性説」を認識論、怒り、恨み、嫉み、害意、傲慢などの「煩 悩論」を心理現象論、さらに修行の深まりの段階「五位説」を成長段階論などとして現代人 にも普遍・妥当性を持つものとして読む。
  (1990年(改訂新版2005年) 青土社 四六判/270頁)
トランスパーソナル心理学

 行動主義・実験主義的心理学、精神分析、人間性心理学に続いて、1960年代末に、アメ リカで興った「心理学の第四の潮流」と呼ばれるトランスパーソナル心理学の概説紹介。東 洋宗教と西洋心理学を統合し、近代的な自我の確立を超えた人間性の成長可能性を明ら かにしたその流れの登場の時代的な背景、中心的な理論家、マズロー、フランクル、アサジ ョーリ、ウィルバーの学説を要約紹介し、現代日本の状況に対する意味を述べる。
  (1990年(増補版2000年) 青土社 四六判/291頁)



共 著

唯識―こころの仏教 
(龍谷大学仏教学叢書1 楠淳證編、2008年 自照社出版 B6判/355頁)
 *第5章の1「唯識仏教と深層心理学」執筆
観音さま―その優しさに包まれて 
 (2006年 佼成出版社 B6判/156頁)
*「ほのかなイメージとしての観音様」執筆)
トランスパーソナル心理療法入門 
 (諸富祥彦編、2001年、日本評論社)
東洋の知恵と心理学 (シリーズ 人間性の心理学)
 (恩田彰編、1995年、大日本図書)
宗教と文化―諸宗教の対話 (南山宗教文化研究所シンポジウム) 
(南山大学宗教文化研究所編、1994年、人文書院)
禅と現代  
(秋月龍a編、1986年、平河出版社)



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