倫理性の崩壊が深刻化していると思う

 かつて、日本人の精神性の崩壊について書きました 1) 2) 3) 4) 5)。

 精神性・倫理性の崩壊はますます進んでいる・きわめて深刻化していると思わざるをえないことがまた起きました。

 文部科学省の次官他の汚職―辞任の事件です。

 「毎日のニュースを見聞きしていると、日本の上に立つ人たちの多くが、品性のないことをするだけでなく、法律を犯しているという事件がしきりに起こっています。昨日の新聞記事もそうでした。/これでは、「十七条憲法」の精神と真っ逆さま、あまりにも美しくない国ではありませんか。」と書いたのは2007年1月でした。

 またかと言えばまたかですが、文部科学省の次官他というのが、深刻化していると思わされます。

 彼らこそ、日本の子どもたちに倫理を教えるための規準と模範を示すもっとも責任ある立場にある大人たちだったはずです。

 こういう事件を見聞きしていると、日本人の倫理性が、頂上から麓まで崩壊しつつあるのではないか、と深く憂慮せざるをえません。

 改めて、聖徳太子『十七条憲法』、特に第四条の精神とはみごとに真っ逆さまだと思わされます。

 「第四条 もろもろの貴族・官吏は、礼法を根本とせよ。そもそも民を治める根本は礼法にあるからである。上に礼法がなければ、下も秩序が調わない。下に礼法がなければ、かならず犯罪が起こる。こういうわけで、もろもろの官吏に礼法がある時は、社会秩序は乱れない。もろもろの民に礼法がある時は、国家はおのずから治まるのである。」

 そこに書いたコメントも再録しておきます。

 「集団の重要な地位にある人は、法を守ることは当然ですが、まずそれに先立つモラルやエチケットつまり「礼法」を守って、人間としてのいい生き方の模範を示す責任がある、というのです。

 人々を治める――これはもちろん支配・搾取・抑圧するという意味ではなく、穏やかに秩序を保って平和に幸福に暮らせるようにするという意味です――には、根本的に生き方の模範を示すことが必要なのです。

 上に立つ人が、エチケット、モラル、さらには法にまで違反するようでは、下の人々がちゃんとするはずがありません。

 上に立つ人のモラルが乱れていれば、下々は犯罪さえ犯すようになるのです。

 しかし上に立つ人が、法律遵守することは当然、それ以上に品格のある行動をして模範を示せば、人々も「ちゃんとした人間はああいうふうに生きるものなのだ」と、それに倣って秩序を守るようになる、というのです。

 そして人々がエチケットやモラルをちゃんと守るようになれば、まして法律を犯すようなことはなく、強制しなくても自然に国が平和になっていくのだ、と太子は言っています。

 まさにそのとおり、話としては当たり前の話ではないでしょうか。

 しかし、毎日のニュースを見聞きしていると、日本の上に立つ人たちの多くが、品性のないことをするだけでなく、法律を犯しているという事件がしきりに起こっています。昨日の新聞記事もそうでした。

 これでは、「十七条憲法」の精神と真っ逆さま、あまりにも美しくない国ではありませんか。

 一日も早く、第四条の当たり前の話・理念が、同時に当たり前の事・現実であるような国になってほしいものです、いや、したいものです、ぜひそうしましょう。

 そう思われませんか。」

 右傾化ではない日本人の精神性の再建・再構築(レコンストラクション)が切実に求められていると思われます。

不安を感じていない時間を持つためには1

 当研究所の講座プログラムは、「正しく適度な心配はするが過剰な不安に囚われず、やれることをやって、後は宇宙に任せる(受容)ことのできる心」を育み、危機の時代を生き抜く心備えを確立することを目指しています。

  そこで、まず不安を感じていない時間を持つ方法をお伝えしていくのですが、そのためにまず大筋として以下のポイントを押さえていきます。

 ① 心を空(「から」、さらには「くう」)にする:考えない

 ② 心を何かに集中する:余計なことを考えない

 ③ 大きな心になる:大きく正しく考える

 私たちは、熟睡したり気絶したりしている時は悩んでいない。というか、悩めません。

 それは、考えていない・考えられないからです。

 逆に言えば、考えるから悩む、考えなければ悩まない、ということです。

 ですから、悩みたくなかったら、考えないこと。

 とはいっても、パスカル風にいえば「考える葦」であることを運命づけられた人間は、ふつうふだん目が覚めている時は、あれこれと考えずにはいられません。

 だとしたら、どうすればいいのでしょう。

 次回の記事をお読みください。

不安への対処の3つのタイプ

 不安は、未来の危機への漠然とした想像から生まれる感情です。

 非常に不愉快な感情である不安をなくすための対処には、以下の3つのタイプが考えられるのではないでしょうか。


 ①想像・考えることをやめる:否認と気晴らし

 ②避けられないこととして受け入れる:あきらめ、受容

 ③心配し正しく認識し適切な対処法を探って行動する


  どんなに困難であっても決して対処不可能ではないことについては、否認やあきらめではなく、③の対処がもっとも合理的・適切な対処であることはいうまでもありません。

 しかし、対処にはかなりのエネルギー・意志・勇気が必要ですから、そのエネルギーをチャージするために一定の気晴らしをすることは、ある程度あっていいし、必要だとさえいえるでしょう。

 また、安易なあきらめは非合理的・不適切ですが、ほんとうに避けられない・運命的な出来事については、受容するほかありません。

 そして、受容することは、フランクル‐ロゴセラピー的にいえば「態度価値の実現」です。

 変えうることは変える、変ええないことは受容することについて、よく知られているのは、アメリカの神学者ラインホールド・二ーバー(1892–1971)の次の祈りの言葉です。

 神よ、私に、変ええないことは、それを受け容れる平静さと、変えうることは、変える勇気を与えてください。そして変えうることと変ええないことを見分ける知恵を与えてください。
 
O God, give us serenity to accept what cannot be changed, courage to change what should be changed, and wisdom to distinguish the one from the other.

*東京土曜講座の「不安の時代の心理学――なぜいまコスモロジー心理学か」は、次回、10月6日の第2回のみの参加も可能です。前回の簡単な復習をして先に進みますから、この回のみご参加いただいても、十分、多くのヒントを得ていただけると思います。

現代の主な7つの不安

 先日(15日)、東京土曜講座の「不安の時代の心理学――なぜいまコスモロジー心理学か」の第1回目を行ないました(*当日のメモに基づき昨日の記事を若干修正し、タイトルも変更しました)。

 その内容のポイントをご紹介しようと思います。

 まず、参加者のみなさんと現代の主な不安にはどのようなものがあるかを考え、筆者があげたのも含め以下のような不安があることが確認―共有されました。

 読者のみなさんは、どう思われるでしょうか。
 もちろんこれ以外にもいろいろあると思われますが、「主な」というとほぼこれだけなのではないでしょうか。もし、お気づきのことがあれば、ぜひコメントをください。


  現代の主な不安

 ①生活水準が保障されなくなるのではないか

 ②社会秩序が崩壊に向かうのではないか

 ③災害が巨大化するのではないか

 ④環境がますます悪化するのではないか

 ⑤戦争に巻き込まれるのではないか

 ⑥科学技術が行き過ぎてしまうのではないか

 ⑦人類は絶滅に向かうのではないか


 こうした不安に目をつぶらず、どう向かい合うか、が学びの課題です。

台風と地震の後で

 大型の台風21号が過ぎました。

 心配してくださった方に、「今回もこちらは幸い大したことはありませんでした(もちろん自分たちだけが大丈夫ならそれでいいと思っているわけではありませんが)」、とお知らせを書こうと思っていた矢先、北海道の大きな地震のニュースで、一種、言葉を失った感じになり、すぐに記事を書くことができませんでした。

 遅れましたが、二つの大きな天災で、亡くなられた方のご冥福をお祈りし、被災された方々に心からお見舞いを申し上げ、一日も早い復旧・復興をお祈りします。


 20号台風の後の段階で、秋からの講座案内に「事実としてはいやおうなしに危機の時代・不安の時代になりそうです(望まないことですが)」と書きましたが、望まないこと・きわめて残念なことながら、ますます現実のことになりそうで、とても心配です。

 危機の時代にはどうしても、不安に囚われて気持ちが暗くなるか、それが嫌なので「正常性バイアス」的に自分だけは大丈夫だと思いたくなりがちですが、そのどちらでもなく、正しく心配しながら、つまり危機管理意識をしっかり持って、できるだけ想定外がないような対策をしながら、しかし最終的には運を天に任せる、「人事を尽くして天命を待つ」という心の姿勢を確立することが望ましいのではないか、と思います。

異常気象の深刻化,それでも希望

また大きな台風が日本列島に接近しています。

自分のところもですが、特に豪雨被害に遭われたばかりの地域にまた豪雨ということにならないよう、被害が最少であることを祈るばかりです。

異常気象が続き、どんどん深刻化しているようで、非常に心配です。

短期的な対処はもちろん必要ですが、この深刻な傾向に対する根本的な対応をする必要があると思います。

以下は、2006年8月30日の「全体状況は悪化しているが希望もある!」というブログ記事の再録です。

ほぼそのままお読みいただきたいと思い、再録しましたが、2つだけコメントしておきます。
①経済と福祉と環境のバランスを目指してみごとな方向付けをしてきたスウェーデン・北欧諸国も、難民問題では苦しんでいるようで、なかなか現実政治の世界でヒューマニズムの理想を実現するのは難しい、と改めて感じさせられています。
②メキシコ湾流が2010年頃止まるかもしれないという予想は、幸いまだ当たっていませんが、危険が去ったわけではないようです。

ここで確認を共有したいのですが、すでに60年代半ばに警告はあったし、さまざまな人やグループが誠実で真剣な努力を重ねてきたことはまちがいありません。

しかし、地球環境は全体としては悪化しています。まず、このことをはっきり認識しなくてはいけないと思います。

お話ししてきたように、最新のデータを見ても、全体としての地球環境はさらに悪化するばかりで、近い将来での改善の見込みは立っているようには感じられません。拾っていくと目の前が真っ暗になりそうな話ばかりです。

さまざまな真剣で誠実な努力が、悪化の速度を遅くするうえで大きな貢献をしたことは確かですし、一生懸命やってこられた方にケチをつけようという気持ちはまったくありません。しかし、冷静にみると、にもかかわらず全体状況はあきらかに悪化しているのです。

かつて私の研究所で、大井玄先生(元国立環境研究所所長)に講座をもっていただいて、1960年代には世界で4番目の面積があったアラル海――カスピ海の東にあり、カザフスタンとウズベキスタンの国境にまたがっています――が干上がってなくなりつつあることを、現場で見てこられた体験を通して報告していただきました。

また、大井先生からコピーをいただいたペンタゴン(アメリカ国防省)発表のレポート(鳥取環境大学環境問題研究会訳)によると、温暖化→氷河の溶解と降水量の増大→北大西洋の淡水化→暖流であるメキシコ湾流が止まる→ヨーロッパのシベリア化→食糧不足に伴う世界規模の政治の不安定化、紛争の危険が増大していることが予測されています。しかもメキシコ湾流が止まってしまうのは、早ければ2010年頃かもしれないというのです。

深刻にならざるをえない事例は、この他、挙げていけば無数にあります。そうした状況に対して、「今、多くの環境学者たちは非常な無力感に陥っています。私もそういう気持ちがします」と大井先生はいっておられました。日本でもっとも豊富で正確なデータに接する立場におられた方の言葉は、非常に重いものがあります。

しかし、それに対して筆者は、あえて3つのことを申し上げてきました。

1つは、「無力感」に陥る気持ちは十分、十二分にわかりますが、でも論理的・正確に捉えると、力が「ほとんどない」は、「まったくない」ではなく、「すこしはある」ことであり、そのことをちゃんと確認すれば、まず無力感から「微力感」くらいにはなるはずではないか、ということです。論理療法的に言えば、「無力感」は、非論理的な考え方から生まれた不適切な否定的感情ということになるでしょう。

そして、私はいつもいうのですが、「微力でも協力すれば強力になる」のではないでしょうか。

さらに2つめは、それだけを集中的に見れば「ある」、つまり環境問題解決のための力や方策はまちがいなくあるのであり、しかも確率的には―つまり比較すると―きわめて低いとしても、潜在的には大きな可能性を秘めていると考えることもできるのであり、私たちはその可能性に賭けるほかないのではないか、ということです。

「大きくて自分一人の力ではどうすることもできない」と感じられるような危機(あるいはその情報)に直面した時、私たちが取りうる態度の選択肢がいくつかあり、どんなに小さくてもあるのならその可能性に賭けるというのが最善の選択だ、と筆者は考えています。

それに関わって、筆者がこれまでにご紹介してきたような危機のデータを知ってから、それをまわりの方に伝えようとして受けた反応には、典型的に次のようなものがありました。

①「そういう話を聞いていると気持ちが暗くなるだけだから、聞きたくありません」。
これは、非常に多く見られるもので、無視・逃避、あるいは抑圧という態度です。

②「今までもいろいろ大変だといわれてきたけど、結局どうにかなってきたじゃないですか。今回もおなじじゃないんですか?」。
これは、危機の過小評価、たかをくくるという態度です。

③「個人でどうにかできるようなことじゃないでしょう。人類が滅びるとしても、それはそれでしかたないんじゃないですか?」。
これは諦め、責任放棄という態度です。

④「何かしたいんですが、私に何ができるかわからないんです」。
これは、問題意識を持っていながらまだ解決の方向性が見つからないという状態の場合もありますが、あえて率直にいうと、思考停止、勉強不足にすぎないこともあります。

⑤「私は環境には気を使っていて、~をやっています。これ以上、何をすればいいんですか」。
これは、いわゆる「環境派」の市民の方によく見られるもので、環境問題は、近代という時代、近代産業主義の行き詰まりを示しているということ、地球規模の問題だという時間と空間のスケールへの認識不足であることが多いのではないでしょうか。

いうまでもありませんが、これらのどの態度も問題解決にはつながらない、と筆者には思えます(こういうことをはっきりいうから、嫌われるんでしょうね、あーあ)。

「大きくて」=地球規模で、「私一人の力ではどうすることもできない」=個人は微力なのなら、「地球規模の影響力のある強力な人間集団を組織して解決に当たる」というのが、唯一ありうる問題解決への道だと思います。これは、理の当然だと考えますが、いかがでしょう。

では、地球規模の影響力のある強力な人間集団はあるでしょうか。『サングラハ』第75号(2004年5月)では、以下のように考えていました(とても残念ながら情報不足=勉強不足でした)。

…資本主義経済―だけでなく社会主義経済を含む近代産業主義経済―には、一時的かつ局地的に―つまり近代、先進国で―貧困を克服できたというプラス面はあっても、原理的にいって、エコロジカルに持続可能な社会を構築できないという決定的な限界があると思われます。(中略)

まず環境破壊について簡単に言えば、原因は近代の産業主義にあると思われます。そして、資本主義国では産業は国に所属した私企業が担っており、社会主義国では国家が産業をコントロールすることになっています。つまり、全体としての産業主義を変更することのできるのは国家だけであって、民間のエコロジー運動でもなければ国連の環境機関でもありません。

もちろん国家主導でやったとしても、近代産業主義的な経済システムから真に持続可能な経済システムへ移行するのは、きわめて困難です。しかし、他に道がないとしたら、その困難な道を志向するほかない、と筆者は思うのです。(中略)

筆者は、これまでも公言してきたとおり、まず日本を自然成長型文明を志向する国家にしたい、そしてそういう日本が世界のオピニオン・リーダーとして世界に働きかけることによって、世界全体を自然成長型文明へと移行・変容させたい、と考えています(略)。

これは、どんなに大げさな夢のように聞こえても、ほとんど不可能なくらい困難に見えても、ほんとうによりよい世界を望むのなら、他には考えようがないのではないか、と思っています。

しかし、幸いなことに、「近代産業主義的な経済システムから真に持続可能な経済システムへ移行する」という課題に、国家単位で取り組んでいる国があったのです。

その代表がスウェーデンですが――繰り返し紹介してきましたが、小澤徳太郎『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(朝日選書)をお読みになっていない方はできるだけ早くお読みになることを強くお勧めします――それだけではなく、北欧諸国はみな「持続可能な社会」を政府主導で目指しているようです。

それは、北欧諸国にとって、必ずしも「大げさな夢」でも「ほとんど不可能なくらい困難」でもなく、今実現しつつある目標なのです。

そして、特にスウェーデンは、これまでも国連の環境政策に大きな影響を与えてきましたが(例えば、1972年、スウェーデン・ストックホルムでの国連環境会議開催!)、さらにEU加盟後はEU全体の環境政策にも大きな影響を与えつつあります。

環境(と経済と福祉の巧みなバランスの取り方)に関して、スウェーデンはこれからますます、世界のオピニオン・リーダーになってくれることでしょう。

スウェーデンの現状を知ったことは私にとって、「希望ある衝撃」でした。

その衝撃が、「日本も〈緑の福祉国家〉(=エコロジカルに持続可能な国家)にしたい! スウェーデンに学びつつ」のシンポジウムの企画につながっています。

まず日本がしはじめたのではなく、「日本も…したい!」であるのは、日本人としてはちょっとだけ残念ですが、そんなことにこだわっている場合ではありませんね。

どこの国が掲げたのであれ、希望は希望です。

今年はなぜ台風が多い?

 筆者の住むところでは、幸い台風20号の影響は大したことはありませんでした。

 心配してくださったみなさん、有難うございました。

 被害に遭われた地域のみなさんには、心からお見舞い申し上げます。


 それにしても、今年は台風が多いようです。

 原因は何か、ネット上ではどんな情報があるのか検索してみましたが、大まかに言えば、①日本の南の海水温が高いこと、②西からのインドモンスーンという南西風と東からの貿易風がぶつかって上昇気流が発生し熱帯性低気圧に発達しやすい状況にあること、③太平洋高気圧の張り出しが弱いこと、などの条件が組み合わさったことによるようです。

 そして、台風の観測が始まった1951年から2017年までで観測史上最多は1967年の39回なので、今年はそこまで行くかどうか、まだわからないようですが、少なくとも観測史上第2位くらいにはなりそうだと予想されています。

 そうしたメカニズムやデータの当否について、素人の筆者が全体としてコメントをすることはできませんが、もっとも大筋として、改めて以下のことは言えそうに思います。

 海水温の上昇 ← 猛暑 ← 温暖化 ← 大量の温暖化ガス(二酸化炭素など)の排出と蓄積 ← 「資源の大量使用―大量生産―大量消費-大量廃棄という近代の産業メカニズム」、というふうに主要な(唯一ではないとしても)原因を遡って推測することができるのではないでしょうか。

 今年、来年が、観測史上最多になるかどうかも問題ですが、遡った原因をどう変えていくのかこそが大問題なのだと思います。


 猛暑のせいか、こころのところブログ記事を更新していなくても、閲覧者数が夏前の倍くらいになっています。

 もっともアクセス数の多い記事は、環境庁が環境省になって始めて出された『平成十三年版 環境白書』(4月小泉内閣の成立後5月付けで公刊)掲載の図「問題群としての地球環境問題」を引用・掲載した「環境問題と心の成長3」という記事でした。

 読んでくださったみなさん、有難うございます。ぜひ、続けて関連記事をお読みください。

 そして、これから私たちはどうすればいいのか、どうすべきなのか、ご一緒に考えていた開けると幸いです。

異常気象が通常になることを恐れる

  「人間の生活力の強さ!人間はどんなことにもすぐ慣れる動物である。
   私はこれこそ人間に対する最上の定義であると思う。」

 上記は、シベリア流刑という異常事態を体験したロシアの作家ドストエフスキーの言葉です。

 ここのところの「経験したことのない」「命に危険のあるレベル」「災害といってもいい」猛暑も、何日も続くと、「うんざりだ」と言いながらも、人間は慣れてくるのでしょうか。

 それは、人間の生活力の強さという意味ではいいのかもしれませんが、異常が通常になり、そうするとまるで正常であるかのような錯覚が生まれ、異常を正常に戻す努力をしなくなる危険が大きいと思われます。

 最近、気候変動・温暖化に対して中長期的にどう対処すべきか、メディア等であまり話題になっていないように思えるのですが、どうなのでしょう(私の認識不足なのでしょうか)。

 ちゃんと異常事態、緊急課題として議論されているのでしょうか。

 この傾向は今後も続くと予想されており、続いていくと当然ながら「またか」と通常のことになってしまうでしょう。

 しかし、異常は、たとえ通常化しても、本質的には異常なのであって正常ではない、と思われます。

 慣れてはいけないことがある。異常事態を「またか」ではなく「またしても異常」と感じ、感じるだけでなく認識し、それにふさわしい行動を取ることが必要だ、と私は考えますが、読者はどう考えられますか?

先延ばしのツケが回ってきている?

 経験したことのない進路の台風が、私の住んでいる香川からは遠ざかりつつあります。かなりの雨が降りましたが、幸い被害はほとんどないようです。

 より西はまだ大雨が予想されています。被害ができるだけ少ないようお祈りしています。

 こうした異常気象は、環境問題の根本的解決に向けて本格的に有効な行動をしてこなかったツケが回ってきているということなのではないでしょうか。もう先延ばししている余裕はないのではないでしょうか。

 以下、また過去の記事を再録させていただきます。ご一緒に考えていただけると幸いです。

               *

「もっとも多いのは先送り・先延ばし」‘06.9.10


 先進工業国の多数は、本音では今の資源浪費型の高度産業社会――これは必然的に大量生産-大量消費-大量廃棄社会です――をやめたくないようです。

 しかし本音を公式の場で言うとデータと矛盾しますから、建前的には「持続可能な社会」というコンセプトを受け入れるようになっています。

 例えばインターネットで「持続可能な社会」というキーワードで検索してみると、官民通して建前としての受け入れ-浸透の度合いは、驚くばかりです。

 しかし、そこで語られていることをよく読んでいくと、実際的にはスウェーデンなどの行なっている政策とは根本的に異なった方向のものが多いようです。 

 そして、官の多くが本音ではないようで、実際にやることを見ていると、最優先・最重要課題としてお金や人やいろんなことをどこまで注ぐかを持続的に観察していると、いつも問題先送り気味になっているように見えます。

 日本でいうと35年ずっと問題先送りです。世界各国の多数もそうです。そのツケがそろそろはっきり回ってきそうだということでしょう。

 もちろん、問題先送りといっても、最初から先送りをしようというわけにはいきませんから、公式にはどうするかというと、「対策を策定しましょう」ということになります。

 「まず事実を確認しましょう」ということで、研究調査が始まります。研究調査で暫定的な結論を出すためだけでも○○年かかるとかいう話になります。

 その間、疑わしきものはどんどん放置されます。疑わしきものが放置されるということを30年もそれ以上もやっていて、疑わしきものはどんどん増えてきているのです。

 法律は「疑わしきは罰せず」の原則で行くべきでしょうが、環境は「疑わしきは対策をする」でなければならないと思うのですが。

 そのあたりのことを小澤徳太郎さんは、「スウェーデンは予防志向の国であり、日本は治療志向の国だ」といっておられます。

 近代科学以来、化学物質は1千数百万種作られたのだそうです。このうちのどれくらいが内分泌攪乱物質つまり環境ホルモンなのか、1千数百万種について、誰が研究してどういうマニュアルをつくって、どうやってコントロールをするのでしょうか。人類-科学者は、化学物質を1千数百万種作って、まだやめていないのです。

 ともかく、問題があることは事実ですから、「問題があります。研究しましょう。事実を認識しましょう」とさんざんすったもんだとやったあげく、そこで学者間の学説の違いによって割引きが必ず起こります。

 いちばん深刻に予測する人とさほど深刻に予測しない人の間の中間くらいの結論しか公式には出せないのです。そこでまず割引きが起こります。

 次に対策策定がなされるのですが、この対策策定というのは公文書だけ見ると(例えば典型的には「環境基本計画」ですが)、結構がんばってやってくれるのだと思って期待するのですが、実行段階を見ていると、書いてあることの半分も実行されないように見えます。ここでもまた割引きが起こるわけです。

 こういうふうにして、どんどん割引きが起こるという人間的なマイナス要素が必ず加わってきますから、対策策定の内容に対してある程度の実行というふうにしかなりません。対策策定そのものが危機のいちばん深刻な予想に基づいてなされないうえに、実行段階では割引きされますから、結局、問題の根本的解決は先延ばしになるだけです。

 というわけで、国際自然保護連合の「国家の持続可能性」ランキングで上位に評価されている、スウェーデン、フィンランド、ノールウェー、アイスランドなどの北欧は解決に相当接近しており、オーストリア、カナダ、スイス、そしてドイツ、デンマーク、ニュージーランドがある程度接近しつつあるのを別にすれば、日本を含め多くの先進工業国では、公式の世界での建て前が第2のシナリオ、実態は第3のシナリオに限りなく近いということが起こってきたし、今でも続いているように思えます。

 しかし、環境問題の緊急性からいえば、本当は先延ばしなんかやっていられるような状況ではない、と思います。

ありうる近未来の3つのシナリオ

 早くから環境の危機に警鐘を鳴らし続けてこられた石弘之氏が、『地球環境報告Ⅱ』(1998年、岩波新書)で「2020年ごろがひとつのヤマ場となると考えている」と書いておられました。
 不幸にして予測は前倒しでみごとに的中してしまったと思われる昨今の状況です。

 経験したことのない猛暑が少し和らいだら、経験したことのない台風が接近中。被害が最小限であることを祈るばかりです。

 そうした中、改めて「では、ありうる近未来のシナリオはどうなのだろうか」と考えてみて、かつて書いたことがそのまま当てはまると思われましたので、これも再録します。

 近未来の「ソフトランディング(軟着陸)」を望み、なんとしても「ハードランディング(墜落)」を避けたいと思われるみなさん、ご一緒に考えてください(前掲の西岡先生はソフトランディングは無理だろうとおっしゃっていますが)。

                 *

 「ありうる近未来の3つのシナリオ」‘06.9.7

 このような現状のまま進むと、どういうことが起こるか、大まかにみて3つのシナリオが描けると私は考えています。

 第1は、環境危機の本質をはっきり認識して、ではどこへ向かうべきなのか明確に目標設定をして、本格的な実行をして、実際に持続可能な世界秩序を創り出すというもっとも望ましいシナリオです。

 後でもう少し詳しくお話しますが、こういうシナリオの手法はスウェーデンが採用しているもので、「バックキャスト」ないし「バックキャスティング」といいます。

 このシナリオは、先にお話ししてきたような日本の条件を考えると、そうとうに困難ですが、不可能ではないと思います。日本政府の環境関係者も、最近、手法としては「バックキャスティング」で行くことを決定したそうです。問題は、目標が「循環型社会」では不十分だと思われるという点ですが、それでも大きな前進であることはまちがいありません。

 ところが、繰り返しお伝えしているとおり、幸いかつ驚くべきことに、スウェーデンを代表とする北欧諸国は、第3のシナリオを着実に実行しつつあるようです。

 実は、1999年の初版では、このシナリオはきわめて困難で実行不可能かもしれないという思いがあって、第3にあげたのですが、スウェーデンの実例をとおして、これは条件次第では実行可能だと考えるようになり、第1に変更しました。

 もちろん、このシナリオはまだ少数の「環境先進国」で採用されているもので、世界全体としてはまだまだですが、しかし確実に実行されつつあり、国際社会の世論形成に影響を与えつつあるということは大きな希望です。

 第2は、一見それに近いのですが、形式上「対策策定」をして「実行」していることになっている、というシナリオです。

 特に先進国ではどこでも、環境問題に対してそれなりに対策を策定して、実行していることになっています。

 日本も、環境庁ができて、環境省に格上げになり、いろいろな研究機関が作られ、そこにたくさん優秀な官僚や研究者がおられて、いろいろ資料を作りあげて、環境基本法が制定され、環境基本計画などいろいろなプランを作っておられるのですが、それは、実行といっても、残念ながらある程度の実行であるように見えます。

 問題が起こってからそれに対応して対策を立てるという手法を「フォアキャスト」「フォアキャスティング」といいますが、従来の日本の「公害対策」「環境対策」はこの手法で行なわれてきました。

 これは、次の100パーセントの問題先送りよりはましですが、結局のところ、崩壊の若干の先延ばしにしかなっていないのではないか、と私は見ています。

 第3は、問題先送りです。

 環境問題を最優先課題にしていない人々が主導権を握っている国では、当然問題は実質的にはかなり後回し―先送りになっていきます。

 経済大国としてはまずアメリカ、それから大きな人口を抱えこれから経済大国になろうとしている中国やインド、そして残念ながら実質的には日本も、そしてもっとたくさんの国がそうであるようです。

 1998年の時点で、国連環境計画の顧問、東大大学院の国際環境科学の教授を経て、現在北海道大学大学院の公共政策の教授をしておられる、日本の代表的な環境問題専門家の一人である石弘之氏が、『地球環境報告Ⅱ』(岩波新書)で、「この『先伸ばし』の限界は、いつごろ世界的に顕在化してくるだろうか。私自身、さまざまな分野の研究者と将来の見通しを検討しているが、2020年ごろがひとつのヤマ場となると考えている。……このままでは生産や人間生活を支える基本となる水、森林、土壌、水産資源などがそのころまではもちそうもないからだ。」(p.208)と書いておられました。

 そして、最後に「日本はタイタニック号ではないだろうか、と思うことがよくある。だれもが、前方に氷山があることは知っている。まさかこの不沈艦は沈むことはない、科学技術をもってすれば容易に回避できる、と氷山の存在をことさら無視しているのではないだろうか。氷山の破片が漂いはじめている事実は本書中で報告したとおりである。」(p.213)と書いておられましたが、基本的には状況は変わっていないのではないでしょうか(石氏自身、その後もブログでそういう趣旨のことを訴え続けておられます)。

 そうすると、早めにみてまず2020年くらいと予測される世界的な環境危機による大混乱の中に、日本も巻き込まれていくことが想定されます。

 国連大学が昨年10月に発表した警告によれば、「2010年、5千万人もの人々が地球環境の劣化による問題から逃れることのできない生活を強いられているであろうという予測がされている。これを受け、国際連合大学の専門家達は、この新しい『難民』の分野を定義、認知、そして支援することが緊急課題であると考えている。」

 「地球環境の影響を受けて移住を余儀なくされる人々は、すでに、現在およそ1,920万人程度と計算されている『援助対象者』と同程度の人数であり、近い将来、この数字を上回るとされている。また、赤十字の調査でも戦争による移民よりも地球環境問題を原因とし、住む場所を失う人々の方が多いという調査結果が出ている。」ということです。

 人類が突然絶滅するというSFパニックもののような事態を想定するのは現実的ではないと思いますが、世界全体として大きな混乱が生じることはまちがいないでしょう。

 そしてそういう状況が急激に進むと、100年以内に世界全体がそうとう悲惨な状況になり、人口が非常に少なくなって、荒廃しきった環境条件の中でわずかな人類が細々と生き残るという事態に到ることも、まるで想定できないことではありません。

 とはいっても、それまでの国の政策の違いによって、それぞれの国の状況にはかなり大きな格差が出るでしょう。

 バックキャスティングで政策的に対応した国は「ソフトランディング(軟着陸)」できるでしょうし、フォアキャスティングで対策的に対応した国やさらにほとんど先送りした国はさまざまな程度の「ハードランディング(墜落)」をすることになりそうです。

 これからの世界は、大まかにいってこの3つシナリオしかないだろうと思います。

 といっても実際には第1から第3まではグラデーションですから、人類全体としてどのあたりに到達できるか、それが問題だ、ということになります。

 ぜひ、まず日本の、そして世界の国々すべてのリーダーたちが、「エコロジカルに持続可能な社会」に向けて、バックキャスティングの手法を採用し、最善のシナリオを選択するように働きかけていきたいものです。