サングラハ第159号が出ました

『サングラハ』誌の第159号が出ました(第157、158号のお知らせを休んでしまい、失礼しましたが、第156号から続いた連載記事がほとんどでした。)

今回の目次は以下のとおりです。

目次

■ 近況と所感………………………………………………… 2

■『如来蔵経』を読む(6) …………………………岡野守也… 4

■ 唯識と論理療法を融合的に学ぶ(9)…………… 〃……… 19

■ 新・ゴータマ・ブッダのことば(11)………… 羽矢辰夫…… 33

■ 渡辺京二と近代の超克(8)…………………… 高世仁……35

■ 中立国スイスとスウェーデンを参考に
将来の民主主義国の在り方を考える(2)…………増田満…… 40

■ 書評『徳川時代の宗教』(R・N・ベラー)(7)……三谷真介… 47

■ 講座・研究所案内…………………………………………… 50

■ 私の名詩選(58) 薔薇の名詩 ………………………………52

*電子版は、「DLmarket(ディー・エル・マーケット) http://www.dlmarket.jp/」で入手していただけます。
雑誌版は、okano@smgrh.gr.jp/ 宛、お問合せ、お申込みください。

なぜコスモロジーセラピーか

 昨年秋、研究所のオリジナルなプログラムである「コスモス・セラピー」を「コスモロジーセラピー」と改称しました。

 「コスモス・セラピー」という呼称で知られてきつつある状況なのになぜ? と思った関係者もおられたようでなので、以下簡単に説明をしておきます。

 それは、「人間は言葉(ロゴス)を使って生きる生き物である。したがって、人間が健全に生きるためには健全なコスモロジー(コスモス+ロゴス、宇宙観・世界観)が必要であるし、人間の心の根本的癒しには不健全なコスモロジーを健全なコスモロジーに変換することが必須である。要するにポイントは、コスモス・宇宙そのものというより、その捉え方つまりコスモロジーなのだ」という基本的な考え方が、私の中ではっきりしてきたことを表現したいと思ったからです。

 ついでになぜ「・」なしかというと、例えばフランクルのロゴセラピーはいわば固有の商標であるため表記が「ロゴ・セラピー」ではなく「ロゴセラピー」であるのとおなじように、「コスモロジーセラピー」もオリジナルなプログラムであるという自己主張です。

 より説明的にすれば単に「コスモロジーセラピー」ではなく「つながりコスモロジーセラピー」、さらに詳しく説明すれば「つながり・重なり・一体性コスモロジーセラピー」となるでしょうが、さすがにそれは長すぎるので「コスモロジーセラピー」にとどめました。

 私や私たち(もっとも広く言えば人類、さらには生命全体)が全体(whole)としての宇宙とつながっていて、究極のところ一体であること、さらに宇宙は重層的に自己複雑化・進化を続けていて、私たちはいわばその最前線にあることが、浅い意識的な知識にとどまらず、深層のコスモロジーになった時、私たちの心は根源的に癒され(heal)、健全(health)になる、というのがコスモロジーセラピーの基本的作業仮説であり、それはこれまで報告してきたとおり1)2)3)実践の中で実証されてきたと考えています(残念ながらまだ純粋な第三者による検証はなされていませんが、何人ものセラピスト、精神科医、教育者による実践の成果の報告はいただいています)。

 できるだけ多くの人と共有したいと願って、コスモス・セラピーの文章化できる内容についてはかなりの部分を本ブログで公開してきましたが、単に知識的ではなく体験的なセラピーであるという要素が大きく、最終的にはやはり実際に参加していただくほかありませんでした。

 コスモロジーセラピーについても、今後、公開できる部分は公開していくつもりですが、参加して体験していただくしかないという面はますます大きく残ります。

 今月から、東京でも高松でも講座を行ないます。関心を持っていただけた方は、どうぞ参加して、体験してみてください。

 *問合せ・申込みは、samgraha@smgrh.gr.jp へどうぞ。


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日本:実現途上のプロジェクト

 年頭、安倍首相が「今年は憲法についての議論を加速化させたい」といった趣旨の発言をしていました。

 憲法について議論することそのものは、特定の状況では必要だと思いますが、現政権の目指している方向と私(たち)の望んでいる方向は、残念ながらはっきり違っています。

 何人ものポジティブシンキングの著者たちが口をそろえて言っているのは、まず何を実現したいと望んでいるのかはっきりしたイメージを描くこと、そしてかならず実現すると信じることです。

 そこで、年頭のポジティブシンキングとして、私(たち)が何を実現したいと思っているのかを、繰り返し書いてきたことですが、もう一度改めてはっきりさせておくことにしました。

 
 「憲法」とは目指すべき国のかたち・国家理想を表現したものだと考えますが、聖徳太子「十七条憲法」こそ、604年に発布された日本の最初の憲法です。そもそも「憲法」という言葉自体、「十七条憲法」に由来するものです。良かれ悪しかれ、これは日本という国の出発点・原点です。

 ……と書き始めて、ちょっと自己弁明しておきたくなりました。善意の誤解も含めて、これまであまりにもしばしば誤解されてきたからです。
 私は右でも左でもありません。右の妥当な面と左の妥当な面を統合したいと思っているのです。聖徳太子以来の伝統(のプラスの面)を重んじるという意味ではいわゆる右・保守以上に右・保守だと思いますし、平等社会への根本的変革を目指しているという意味では左・革新以上に左・革新だと思っています。

 戻ると、十七条憲法の第一条にはこうあります。


一に曰く、和をもって貴しとなし、忤(さから)うことなきを宗(むね)とせよ。人みな黨(とう)あり。また達(さと)れる者少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず。また隣里(りんり)に違(たが)う。しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ、下(しも)睦(むつ)びて、論(あげつら)うに諧(かな)うときは、事理(じり)おのずから通ず。何事か成らざらん。

第一条 平和をもっとも大切にし、抗争しないことを規範とせよ。人間にはみな無明から出る党派心というものがあり、また覚っている者は少ない。そのために、リーダーや親に従わず、近隣同士で争いを起こすことになってしまうのだ。だが、上も下も和らいで睦まじく、問題を話し合えるなら、自然に事実と真理が一致する。そうすれば、実現できないことは何もない。


 ここには、日本という国がもっとも優先的に追求すべき国家理想は人間と人間との平和――そして人間と自然との調和――であることが高らかに謳われています。これは現代的に言い換えると「エコロジカルに持続可能な福祉国家」ということでしょう。

 しかもそれだけでなく、争い・戦争というものは無明*から出てくる自分たちさえよければいいという党派心(「黨(尚黒し)」の心から生まれるという深い人間洞察が、短い言葉のなかでみごとに表現されています。
 無明がなくならないかぎり、戦争はなくならない、平和は実現しない、人間と自然との調和も実現しないのです。
 しかし、たとえまだ無明を克服し覚ることのできていない人間であっても、心を開いて親しみの心をもって、事柄とコスモスの真理が一致するところまで徹底的に話し合うなら、たとえどんなに困難なことでも実現できないことはない、というのです。

 近代的な民主主義のまったくない時代に、私利私欲ではなく理想を目指して徹底的に議論すること、話し合いによる政治を提唱し、「和の国日本」の建設という当時の状況からすればほとんど不可能に見える大国家プロジェクトをみんなで立ち上げよう、と太子は呼びかけています。

 この理想、このプロジェクトは1400年を経てまだ実現への途上にあります。
 この未完のプロジェクトを完成したい、というのが私(たち)の願望です。

 そしてそれは、私個人だけでなく私たち日本人の立ち帰ることのできる原点、立ち帰るに値する原点、立ち帰らなければならない原点であり、向かうべき方向だ、と私は思うのです。

 「十七条憲法」の第二条は、いわば仏教の国教化宣言です。
 ここには、なぜ太子が仏教を国教とするのか、きわめて明快な理由が示されています。

 人間の心は無明によって曲がってしまっている。そのために憎みあい、争いあい、自然の循環を乱してしまう。
 しかし、本来どうすることもできないほどの悪人はいない。すべての人には「仏性(ぶっしょう)」が具わっている。
 仏が存在し、その真理の教え、つまり縁起の理法、すべてはつながって1つだという教えがあり、それを体得した集団・僧伽があって、その真理を人々に教えるならば、人々は教化され真理に従うことができるようになる、というのです。
 そうなれば、平和と調和に満ちた国日本を創出するというあまりにも理想的で一見不可能にさえ見えるプロジェクトの実現も不可能ではない、というのです。


 二に曰く、篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは、仏(ぶつ)と法と僧となり。すなわち四生(ししょう)の終帰(よりどころ)、万国の極宗(おおむね)なり。いずれの世、いずれの人か、この法を貴ばざらん。人、甚だ悪しきものなし。よく教うるをもて従う。それ三宝に帰(よ)りまつらずば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。

 第二条 まごころから三宝を敬え。三宝とは、仏と、その真理の教えと、それに従う人々=僧である。それは四種類すべての生き物の最後のよりどころであり、あらゆる国の究極の規範である。どんな時代、どんな人が、この真理を貴ばずにいられるだろう。人間には極悪のものはいない。よく教えれば〔真理に〕従うものである。もし三宝をよりどころにするのでなければ、他に何によって曲がった心や行ないを正すことができようか。


 しかも、太子は、すべてはつながって1つ、縁起の理法は人間だけでなくすべての生き物のいのちの根拠でもあり、すべての国が到やがて目覚めるべき普遍的な真理であることをしっかりと認識しておられます。
 「いずれの世、いずれの人か、この法を貴ばざらん」というのは、太子がただ仏教を頭から信じ込んでいたのではなく、それがあらゆる時代、あらゆる人に通用する普遍的真理であることをつかんでおられたことを示しています。
 かつての原理主義的な左翼の先入見と異なり、太子は、自分は理解したり本気で信じたりしてもいないのに、「民衆の阿片」、つまり人々をだまして服従させるためのイデオロギー(虚偽意識)として、仏教を導入-利用したのではないようです。
 自ら、深く理解して、その普遍性・妥当性に信頼を置かれたので、和の国日本を創るために、指導者から始まってすべての国民の心を涵養・浄化する有効な方法として導入されたのだ、と思われます。
 だからこそ、仏教を排他的に採用することなく、仏教に不足している社会倫理的な教えの部分については儒教を併用し、従来の神道も十分に尊重しています。「神仏儒習合」という日本の心の基礎は、太子が作られたものだといっていいでしょう。

 第一条と第二条を合わせて読むと、そこには「外面の変革と内面の変革を同時に」というきわめて妥当な変革の筋道が示されている、と私には読み取れるのですが、読者はどうお考えでしょうか。

 外面だけでなく内面も、内面だけでなく外面も、というのが変わることのない私(たち)の目指すところ・実現したい願望であり、やがてかならずそれは実現すると信じています。

 くわしくは、本ブログの記事全体や以下の拙著をご覧いただけると幸いです。

 そして、共感・合意していただける方には、ぜひ能動的な参加もお願いしたいと思っています。



聖徳太子『十七条憲法』を読む―日本の理想
大法輪閣

「日本再生」の指針―聖徳太子『十七条憲法』と「緑の福祉国家」
太陽出版

来年はコスモロジー的ポジティブシンキングの年にしたい!

 

 身辺の用事に取り紛れ、なかなか記事を更新できませんでしたが、今年最後の記事を書いておきたいと思います。 

 タイトルどおり、「来年はコスモロジー的ポジティブシンキングの年にしたい!」と思っています。

 メンタル・タフネス(心の強さ)とポジティブシンキング(積極的思考)は大きく重なっています。ポジティブシンキングができるようになると、メンタルがタフになります。

 しかし、日本ではポジティブシンキングと能天気な楽天主義が混同されている傾向がありますので、ピールがはっきり、きっぱり、誤解を正した文章を引用しておきます。

 ポジティブシンキング(積極的思考)はどんな時にでも効果があるのか? 答えは「イエス」である。それがかなり大胆な言い方だということはわかっている。

 当然、次のような反論が予想できる。「本当にそうだろうか。私には問題がありすぎる。ポジティブシンキングについて読んでみたが、依然として行きづまったままだ」。

 また、次のように言う人もいるかもしれない。「私の仕事は行きづまっている。ポジティブシンキングをやってみたが、仕事はいまだに行きづまっている。ポジティブシンキングは事実を何も変えていない。破産はそのままだ。そのことを否定するとしたら、君は砂の中に頭を突っ込むバカなダチョウみたいなものだ」。

 よくあることだが、人々はポジティブシンキングの本質を本当には理解していないのだ。ポジティブシンキングをする人は、ネガティヴなことがあると認めるのを否定するのではない。ただ、ネガティヴなことをいつまでも考えているのを否定するだけなのだ。

 ポジティブシンキングとは、習慣として最悪の事態から最善の成果を探し求めるというかたちの考え方である。事態がよくないように見えても、建設的な何かを探すことはできるし、自分で最善のことを期待することはできる。そして注目すべきことは、いいことを探し求めれば、おそらくまちがいなくそれを見出すだろうということだ。

 積極的なものを探し求めるというのは、熟考されたプロセスであるし、さらにいえば選択の問題なのだ。

  (ビンセント・ピール『積極的思考の驚くべき結果』ダイヤモンド社、5~6頁、ただし全面的改訳)
 

 やってきつつある新しい年を前にして、一見破壊に見える出来事をとおして次々に新しいより複雑な秩序を産み出してきた・これからも産み出していく宇宙のポジティブな進化の働きに合わせて、私たちもよりよい新しい、よりよいものを創り出していきたい、いくぞ! と思いを新たにしています。

 来年もよろしくおつきあいのほど、お願いいたします。

 *「コスモロジー的ポジティブシンキング」とは何か? これまでサングラハ教育・心理研究所に関わってきてくださったみなさんには、ある程度おわかりだと思いますが、改めて来年、初心者の方にも伝わるように、徐々に記事を書いていきたいと思っています。ご期待ください。

ポジティブシンキングとコスモロジー心理学

 ひさしぶりに、アメリカのポジティブシンキングの元祖の一人であるノーマン・ヴィンセント・ピールの本を読んでいます。

 今、国の内外とも、現象だけをしかもある角度だけから見ていると悲観的・否定的になってもしかたのないような状態にあるので、ここでものごとのポジティブな見方を再確認―復習しておくといいと思ったからです。

 例えば『積極的考え方の原理』(ダイヤモンド社、残念ながら品切れ中)の冒頭で、ピールは次のように述べていました。


 人間には、自分が想像し、心に描くような人物になる傾向が強い。また、われわれには、自分を高く評価するか、さもなくば卑下するという傾向がある。だから、自らの可能性に制限をつけるか、あるいは無限に成長するか、これは自分が決めることになるのである。

 消極的考え方の人は、最後には自分で自分をダメにしてしまう。いつも消極的に考えてばかりいるから、自分の回りの世界を開拓する上でも、どうしても消極的になってしまう。引力の法則というものがあって、似た者同士が引っ張り合うのだ。類は友を呼ぶということわざもある。同じ考え方をする人が自然に集まるのである。消極的考え方の人はマイナスの考えを送り出すものだから、マイナスの結果しか戻ってこない。これは絶対不変の心の法則である 

 逆に積極的考え方の人は、希望、楽観主義、創造性という生きいきした心のイメージとともに積極的な考え方を送り出す。そのため、自分の回りを積極的に、そして力強く開拓し、プラスの結果を引きつけてしまう。これもまた、心の働きの基本的な法則である。

 しかし、消極的考え方の人も、これまで持ち続けてきた消極的考え方を改めることによって、劇的に生まれ変わることができる。有名な哲学者で心理学者のウィリアム・ジェイムズがいっているように、「現代の最大の発見は、人間はその心の持ち方を変えることによって人生を変えることができるということ」なのである。

 積極的原理とは、精神を入れ替えることによって、自己制約の考え方から自己改善の考え方へ、墜落から成長へ、失敗から成功へと変わっていく生きいきとした精神活動のプロセスのことである。……

 積極的考え方の人は、困難を直視する。たじろがず、逃げ出さない。……積極的考え方の人は、どんな困難にも、それ自体に解決の糸口があること知っている。かれはまた、神の助けによって、さらに彼自身に固有の力を発揮することによって、いかなる問題をも処理し、解決することができることを知っている。……積極的考えの人は、困難にであっても、感情に走ることがない。興奮したり、感情が高ぶっているときは、人間の頭脳はベストの働きをしないことを知っているからである。積極的考え方の人は、頭が冷たいぐらいにひえており、また心のコントロールが強い時にだけ、感情的でなく、合理的で知的な考え方を生み出し、それによって健全で実行可能な解決策への道を進むことができることを知っている。……

 もちろんバランスを保つためには、消極性も必要であるというのも、真実である。自然の構造の中にも、正反対のものがある。そして、考え方の世界では、消極性は二者択一の考えの中で重要な働きをするものだ。がしかし、それが考え方の主流を占めると、バランスが崩れて 消極性が前面に出てくるようになる。

 消極的原理には否定しかない。積極的原理は創造する。消極的原理は懐疑を生む。積極的原理は信頼を生む。消極的原理は敗北を認める。積極的原理は勝利を目指して前進する。


 なかなか元気の出てくる言葉です。

 ただピールは、ニューソートと呼ばれるキリスト教の一派の牧師であり、神の存在と神への信仰を前提あるいは根拠にしてあらゆる問題にポジティブに対処しうる方法を語っているため、科学主義的無神論が染みついた現代の日本人にはそのまま受け入れるのが難しいからか、最近はあまり読まれなくなったようで、かつてはかなりの数があった翻訳本のうち、主著の『積極的考え方の力』(ダイヤモンド社)以外は品切または絶版になっているようです。

 しかし読み返しながら、「神」という言葉を「(物質的外面だけでなく精神的内面も含んだ全体としての)宇宙」と読み換えれば、そのまま今の日本人にもきわめて有効なものだと思いました。

 もっとも「宇宙」が物質的外面だけで出来ているという近代科学主義的な宇宙観・コスモロジーで教育=洗脳されてきた戦後の日本人が、ポジティブシンキングを本格的に活かすためには、現代科学の宇宙観・コスモロジーの、しかも主客融合的解釈を身に付けなおすというもうひと手間が必要かもしれません。

 コスモロジー心理学は、現代科学のコスモロジーの主客融合的解釈によって、心を癒し成長させることができるだけでなく、またポジティブシンキングを本格的に有効活用するベースになる考え方でもあるな、と改めて感じています。

 実際にどういうふうに活用すればいいか、そのうち実例も書きたいと思っていますので、ご期待ください。



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サングラハ第156号が出ました

 『サングラハ』第156号が出ました。

 おかげさまで、今回も充実した内容の連載が続いています。ぜひ、お読みください。

 会員のみなさんには本日発送しましたので、間もなくお手元に届くと思います。

 ブログ読者のみなさんへの広報は、前回から目次のお知らせにしています。

 

   『サングラハ』第156号 目 次

 ■ 近況と所感

 ■『如来蔵経』を読む (3) ………………………………  岡野守也

 ■ 唯識と論理療法を融合的に学ぶ (6) …………………  〃 

 ■ 新・ゴータマ・ブッダのことば (8) ……………………  羽矢辰夫

 ■渡辺京二と「近代の超克 (6) …………………………  高世 仁

 ■ 書評『アメリカ 未完のプロジェクト
         ――20世紀アメリカにおける左翼思想』……… 増田 満

 ■ 書評『徳川時代の宗教』(R・N・ベラー)(5) …………… 三谷真介

 ■ 講座・研究所案内

 ■ 私の名詩選 (54) 『自註鹿鳴集』晩秋と冬の歌ほか五首

 

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「死にたい」と「死ぬのが怖い」は同根

 ここのところ、「死ぬのが怖い」という新聞の人生相談の投書を読み、「死にたい」と思っている若い女性たちがだまされて殺されたという事件のニュースを聞きながら、「一見まったく逆のように見える2つのことの根っこは実はおなじなのだから、そこから取り組んでこそ根っこからの、つまり根本的な解決に到ることができるのだがな……」と思っています。

 それは、現われた感情は逆でもその元・根っこになっている「死」の観念はまったくおなじだということです。

 今、日本人の多くは「死」をすべての終わりあるいは無になることと考えているように見えます。

 死がすべての終わりあるいは無になることだとすると、現状の生・生活がそれなりに楽しくて一定の愛着・執着があれば、それを失いたくないので、当然、「死にたくない」「死ぬのが怖い」ということになります。

 しかし、現状の生・生活が耐えられないくらい苦しいと感じられると、すべてが終わる=苦しみも終わる=楽になれると思うので、「死にたい」という気持ちになるわけです。

 しかし、ほんとうに「死はすべての終わり・無になること」なのでしょうか?

 確かに個人のことだけを考えると、死はすべての終わりのように見えます。

 しかし、「いのち」というものは先祖から子孫へと続いているもので、現代科学によればおそらく地球上での生命の誕生以来38億年か40億年前から続いています。

 ある生物学者の譬えによれば、ある乗客が自転車からバスへ、そして電車に、さらに飛行機へ……と乗り換えていく場合、乗り物は換わっても乗る人はずっとおなじであるように、いのちは個体を乗り換えながら40億年生き続けている、ということになるのだそうです。

 私という個体は、いのちを前の世代から受け継ぎ次の世代へとバトンタッチしていく存在なのです(私個人が子どもに恵まれなかったり産まなかったとしても、前の世代やその前の世代から枝分かれしていのちは続いていきます)。

 死は、個体にとって終わりであっても、いのちにとっては自然な引き継ぎのプロセスであって、終わりではありません。

 ところが、戦後教育で近代的個人主義を教え込まれたため、現代の日本人は、若ければ若いほど、自分を自分・個人だけで考え、連続するいのちの鎖の一つとは捉えないようです。

 しかし、「個体は死んでもいのちは終わらない」のです。

 だとしたら、個人の生きて死ぬ理由は、自分だけが幸福・楽しいか不幸・苦しいかだけにあるのではなく、自分の代でいのちをより豊かにしてそれを次の世代につなげることができるかどうかにある、そちらのほうがより重要なのではないか、と私は考えます。

 さらに、戦後教育ですべてを物質と捉える近代科学主義を教え込まれたため、現代の日本人の多くは、物質の複雑なメカニズムである生命体・私は、死んだらばらばらの物質(原子や分子)に解体して終わりであり、物質は残るが、それは意味としては無意味なので、「無になる」と考えているようです。

 しかし、アインシュタイン以降の現代科学の眼で見れば、「すべては物質」であるのはあるレベルのことであって、もっと掘り下げると「すべては宇宙エネルギー」しかも「すべては一つの宇宙エネルギーの現われ」ということになるようです。

 生も死も、宇宙エネルギーのある時の現われ・かたちなのです。

 そういう意味で言えば、個人は死んだら宇宙エネルギーの世界に帰るのであって、無になるのではありませんし、なによりもいのちは生き続けるのです。

 こうしたことがしっかりとわかり、心に染みてくると、少しつらいくらいですぐ死にたいと思ったり、自然なプロセスとしてやがて来る死を過剰に怖れたりすることがなくなるのは、すでにご紹介したコスモロジー教育の効果からして明らかだ、と私は自己評価していますが、読者はどうお考えになるでしょう。

死にたくなくなるセラピー

 ここのところ毎日のように、「死にたい」と思っていた若い女性とその関係者あわせて9人をだまして殺したという事件が報道されています。

 事件の残虐さ、容疑者――報道によれば犯行を認めているとのことなので「犯人」と言っても差し支えないでしょうが――の極端なエゴイストぶり、異常な心理については言うまでもありませんが、ここで改めて指摘したいのは、死にたいと思っている若者がそんなにも多いという事実、それに対して適切かつ十分な社会的対応が取られていないのではないかという疑問です。

 それに対し、コスモロジーセラピー(旧称コスモス・セラピー、教育場面ではコスモロジー教育)は、一言で言えば、「死にたくなくなるセラピー」です。もっと言えば、「死にたい」から「生きます!」への大逆転セラピーです。
 それは、以下のエピソードとコスモロジー教育の授業を受講した学生の感想(かつて紹介したものですが、現時点で意味があると思うので、改めて掲載します。了承は得てあります)を読んでいただけば、わかっていただけると思います。
 「典型的なエピソードをあげると、初めて大学に毎週講義に行くようになった年、数回の授業が終わった後、やや幼い顔をした女子学生が、その顔に似合わない本気で深刻な表情で質問に来て、
 「先生、私は、考えれば考えるほど死にたくなるんですが、友達に相談したら、『バカ、考えるから死にたくなるんだ。考えるのはやめろ』と言われました。やっぱり考えないほうがいいんでしょうか?」
と言うのです(その後、次第にわかってきたことですが、彼女のような死にたくなる若者、心を病んでいる若者が驚くほど多数いるのです。統計を見ると大人もです)。
 そこで筆者は、こう答えました。
 「戦後、ぼくたちやきみたちが学校で教わってきたことを元にして考えると、考えれば考えるほど死にたくなるんだけど、これから、考えれば考えるほど死にたくなくなる、それどころか生きたくなる考え方を伝えるから、あわてて死にたがらないで、がんばって授業に出ておいで」と。
 するとその後、彼女はがんばって続けて授業に出てきて真剣に聞いている様子で、回を重ねるにつれて目が輝いてくる様子なので、そっとして深追いはしないで前期末まで待ってから、
 「どう、まだ死にたい?」と聞きました。
 すると、彼女はニコリと微笑んで、
 「だいぶ死にたくなくなりました」と答えてくれたのです。
 そして、さらに学年末にはすっかり元気になっていきました。」(拙著『コスモロジーの心理学』(青土社、「まえがき」より)。

 

 以下の感想は大学2年の女子学生のものです。

 〔授業の要約部分省略〕
 先生が授業でおっしゃっていた、「人間は水素と炭素と酸素とちっ素と少しの何か」でできていると聴いたときは、正直言って、「人間を原子つまりモノのように言っているなんて……」と否定的な気持ちになってしまいましたが、私たちが生きている世界、また宇宙も原子からできていて、私たちは「星の子」と聴いたときは、胸から何かがこみ上げてきました。
 宇宙カレンダーを見たときは、人間は、自然の力でできたのだなと思い、いのちのでかさを感じさせられました。
 仏教も、いのちの大切さを教えてくれるけど、私は正直言って、現代科学の説明をして下さった先生の授業のほうが現実的で、よりいのちの大切さを学ぶことができました。
 ニヒリズムの塊であった私を先生はハンマーで砕いてくれました。現代科学は、仏教では説明しきれない、いのちの大切さを教えられる気がしました。
 だから、先生は仏教心理論なのに現代科学の話をしたのではないかと私は思いました。
 また、私は過去または今でもたまに自殺したいと思ってしまう時があります。それは、高校の時少しいじめられたことや、所詮、人間は、エゴイズムでしかない。そういう考えからです。
 でも、私が今、こうして元気に生きていられるのは、お母さん、お父さん、ご先祖様、そして、宇宙の歴史なのです。私のつらさなんか、米粒くらいのことでしょう。ご先祖様たちが今までつらいこともあった中で、子孫に継いでいた中の1人が私なのです。良く言えば、私は宇宙の歴史の中の代表者なのです。これは、今生きている人間全員に言えることです。
 こんな大切ないのちを捨てるわけにはいきません。私は生きます!……
 ありがとうございました。私は変わります。

 

 こうしたことは自分で書けばどうしても「自己宣伝」になるので、なかなか信用していただきにくいのかもしれませんが、そういう意味で、単に私個人のためだけではなく、日本社会全体のために、ぜひ広がってほしいと思っています。

 半信半疑程度にでも信用していただけた方、ぜひコスモロジーセラピーの講座にお出かけください。そして、しっかり信用できたら、拡げることにご協力ください(今年は、あと2回、11月18日、12月16日、東京神田の会場で。問合せは samgraha@smgrh.gr.jp へ)。


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コスモロジー心理学の効果2

 この10月からコスモス・セラピーのヴァージョンアップ版を「コスモロジー・セラピー」と改称することにし、東京で入門講座を開始しています。

 第1回は終わっていますが、テキストを読んでいただけば、第2回(11月18日)からの参加も可能ですし、効果も期待していただけると思います。ご希望の方は samgraha@smgrh.gr.jp 宛にお問い合わせください。

 それにちなんで、これまでのコスモス・セラピー=コスモロジー教育の効果について、感想やアンケート調査の結果などをまとめておくことにしました。

 長くなったので、1,2と分割して掲載します。


 「唯識心理学の教育的・セラピー的効果」2011年02月08日

 「若者の心にヒューマニズム復活の兆し?」2011年10月21日

 「2011年度授業の成果 1」2012年05月06日

 「2011年度授業の成果 2」2012年05月06日

 「授業への感想 第1回」2012年05月14日

 「民主主義とエゴイズム」2012年07月11日

 「レポート感想:中2の自分に聞かせてやりたかった!」2012年07月23日

 「病院に行くより先にコスモロジーを」2012年08月08日

 「ピンチを支えるコスモロジー:3つのケース」2012年08月10日

 「人生の質、癒しの始まり、そして定着:学生の報告から」2012年08月12日

 「敗戦、心の闇、いのちの鎖」2012年08月16日

 「震災-津波体験を超えて」2012年08月17日

 「心のガンを取る薬」2012年08月19日

 「変化への不安や抵抗」2012年08月20日

 「自殺を考えている人にかける言葉が見つかった!」2012年08月21日

 「私たちが生きるこの場所も宇宙、私たちも宇宙」2012年08月22日

 「みんな星の子・宇宙の子」2012年08月23日

 「コスモス・セラピーというメソッドの確立」2012年08月24日

 「ばらばらからつながりへのパラダイム転換」2012年08月26日

 「認識のパラダイム-コスモロジーの転換」2012年08月27日

 「コスモロジー授業へのQ&A 2012-1」2012年08月29日

 「なぜ、中枢で仕事をしないのか?:Q&A2012-2」2012年08月31日

コスモロジー心理学の効果

 この10月からコスモス・セラピーのヴァージョンアップ版を「コスモロジー・セラピー」と改称することにし、東京で入門講座を開始しています。

 なぜ改称したかについては、以下の文章を参照してください。まだ説明不十分のところもあるので、書き直したいと思っていますが、本ブログの読者にはこれでも大まかな感じはつかまえていただけると思います。

 「これまでは、コスモス・セラピー、唯識心理学、論理療法、ロゴセラピー、アドラー心理学、フランクル心理学などなどをそれぞれ別々の講座のかたちでお伝えしてきましたが、今後はそれらを統合したかたちを新たに「コスモロジー心理学」(セラピーとして行う場合は「コスモロジー・セラピー」、教育としては「コスモロジー教育」)と呼び、まさに統合的なプログラムを行なっていきたいと考えています。

 コスモロジー・セラピー=コスモロジー教育は、講義(トーク)と実習(ワーク)と対話(ダイアローグ)を通じて、クライアントの生き方のいわばOSになっている深層のコスモロジーをばらばらコスモロジーからつながり・一体性のコスモロジーに変容させること、そのことによって自我の確立・再確立、自己実現、自己超越という人間成長のプロセスを総合的・統合的に促進することを目指しています。

 そこで、特に講義(トーク)について言えば、参加者・クライアント・聴衆に、①新しい科学的知識を伝え、②それだけでなくさらにそれに対する新しい解釈・主客融合的解釈を伝え、③それによって感動を誘発し、④その積み重ね・繰り返しによって深層記憶に定着させ(熏習)、⑤深層のコスモロジーを近代科学主義的でニヒリズムに到るようなものから現代科学的でニヒリズムを超えるものへと変容させる(転識得智)ことを目標とします。」


 第1回は終わっていますが、テキストを読んでいただけば、第2回(11月18日)からの参加も可能ですし、効果も期待していただけると思いますので、ご希望の方は samgraha@smgrh.gr.jp 宛にお問い合わせください。

 それにちなんで、これまでのコスモス・セラピー=コスモロジー教育の効果について、感想やアンケート調査の結果などをまとめておくことにしました(手間と時間がかなり必要で一挙にはできませんので、少しずつ更新していきます)。


 「教師の勲章」2005年10月22日

 「学生たちの変化」2005年11月3日

 「若者には縁起がわかる」2005年12月6日

 「レポートの採点開始」2005年12月27日

 「授業の成果」2006年1月11日

 「唯識を学ぶと」2006年1月25日

 ●以後、徐々に更新していきます。