死の怖れとコスモロジー教育

 数日前の毎日新聞の人生相談の欄に以下のような問いと答えがありました。

 近代人に特徴的な「死の怖れ」(仏教用語で言えば「死苦」)というテーマです。





 回答者の渡辺さんにクレームをつけるつもりはありませんが、「こうした問いと答えはあまりにも典型的であり、コスモロジー教育=コスモロジー・セラピーの視点からは別の、もっと元気になれると思われる答えがあるので、コメントをしておくといいな」と思いながら、他の用事に取り紛れて遅くなりました。

 近代の初期の哲学者パスカルはこう言っています。

 「気ばらし――人間は、死も惨めさも無知も癒すことができなかったので、幸福になるために、こういうことは考えずにいようと思いついたのだった。」(『パンセ』断章168)

 「……この弱く、死すべき人間の条件のことは、わたしたちが、そのことをつきつめて考えてみると、もう何ものによってもなぐさめられないほどに惨めであわれなものである。……だから、人間にとってただ一つの幸福は自分の条件を考えることから、気をそらすということにつきるのだ。何かに熱中してそんなことを考えずにすますか、目あたらしい・快い情念の中にいつもおぼれているか、賭けごとをしたり、猟をしたり、おもしろい芝居でもみたり、要するに、いわゆる「気ばらし」をして、気をまぎらすことにつきるのだ。」(断章139)

 よりくわしくは過去記事「近代人の典型的な悩み――パスカルのケース」をご覧ください。

 そこで筆者はこう書きました。

 「ニヒリズムとそれからの逃避としての快楽主義は、17世紀の哲学者パスカルから21世紀の若者に到るまで、一見、「それしかない」と思えるような、近代主義者が迷い込む迷路、しかもおそらく行き止まりの迷路であるようです。/  では、この迷路からは抜け出せないのか? 抜け出せる! というのが私の考えです。」

 「では、どう抜け出せるのか」という問いに対する答えは、きわめて長くなるので、関心をもっていただける方は過去記事「いのちの意味の授業1:コスモロジー」の全体をお読みいただけると幸いです。

 時間をかけて長々と読んでいただく価値はあると思います。

 要点だけ言えば、近代科学のコスモロジー(宇宙観)の見方で自分ーいのちー人生を見ると、パスカルや相談者の女性のようなとてもつらい思いが湧いてくるが、現代科学のコスモロジーの見方で見ると、とても明るく元気な気持ちになれるということです。

 実際、かつて筆者が大学で教えた若者たちが書いてくれた感想が、そのことを実証していると思います。

 「いのちの意味の授業1:コスモロジー」の目次にたくさんの例をあげてありますが、例えば1つ「宇宙カレンダーの授業の感想」「コスモロジー教育で心はすっきり晴れやかに」、を参照していただくとおわかりいただけると思います。

 もちろん万能・絶対のセラピーはないので、「コスモロジーを伝えても元気にはならない?」というケースもありますが、全体のパーセンテージとしては高い効果を示してきたと認識しています。

 よろしければ過去記事全体をご覧ください。