連載:持続可能な国づくりの条件 11

  大乗仏教と国民の総幸福度

ブータンはとても古い国だというイメージと違って、ブータン王国ができたのはここ百年ぐらいです。元になる形はあったのですが、ブータンが王国になったのは1907年です。

 

 

今、5代国王ですね、2006年に4代国王が皇太子に王位を譲ったのが現国王で、日本に来られた方です。

4代国王から、「国民の総生産よりも国民の総幸福度を国の基準にしたい」という話が出てきて、それを先代―現国王と、意図的に本気で進めようとしているということのようです。

面積は九州の約1・3倍くらい。だから面積はかなりあるのですが、山の急傾斜地が非常に多いようで、人口は67万人。このあたりだけを見ると、「小さい国だから」という話になるんです。

スウェーデンはまだ1千万に満たない、でスウェーデンも「小さい国だから」という話になるんですけど、もう一回言うと、それは人口の問題ではなくて社会システムと4象限の条件の問題です。

今日はブータンのことを少していねいにご紹介するということなので、少し長くなりますが、前王妃が書かれた『幸福大国ブータン――王妃が語る桃源郷の素顔』(日本放送出版協会、2007)という本の中の最後、京都の佛仏教大学での講演の一部を引用したいと思います(改行は筆者)。

ここを読むと、王妃がこういうことを言う――もちろんそれは国王もそう思っているということでしょう――国なのだとわかると思います。

 

 次に近代生活、グローバリゼーションとよばれる世界市場経済、そして技術革新といった現象と、仏教との関係について、わたしの考えを述べさせていただきます。

仏教の「無常」という考え方は、物事を膠着した静止的なものとはみなさず、恒久的かつ本質的な実体のない、絶えず変容する流動的なものだと認識することです。

ですから、仏教的考えで育ったわたしたちには、どんな急激な変化も驚きではありません。

しかし、わたしたちが懸念しているのは、わたしたちを駆り立てている価値観の問題です。

 

王妃つまり実質的なトップリーダーが「価値観の問題です」と言っているところに注目していただきたいのです。

 

世界の人口の大半が、極度の経済的苦しみに直面していることからして、物質的発展が必要なことは自明です。

と同時に、いわゆる「富んだ半球」である北半球でも、心配、不安、ストレスといった精神的苦しみが大きいことを考えると、精神的発展が必要なことは、それ以上に明白です。

 

こういうことを、日本の首相にも言ってほしいですね。

 

技術革新、世界市場化といった現象は、私たちの欲望および消費をますます煽り立て、わたしたちをいっそう官能主義的にしています。

そうした中で、先進国、開発途上国とを問わず、世界の人々および政府はより良い生活と一層の幸福を確保しようと努力しています。

しかし皆様もお気づきのように、現在の経済の主流は個人が消費者であること、そして消費者が強力な支配者であることを正当化し、個人をその快楽に溺れさせています。

こうした近代化の中では、人々はいっそう消費に走り、ますます消費の自由を追求します。市場にとっては、それが売り上げを伸ばし、拡張する唯一の道です。

こうした近代化の理論は、一般には疑問視されることはありません。

しかし仏教徒としては、はたしてそれが倫理的なものなのかどうか、本当の幸せをもたらすものなのかどうかを、考えねばならないと思います。

仏教では、わたしたちが幸せで健全な社会生活を送るためには「四無量心」すなわち4つの無限の心、

第1に人に楽を与える慈無量心、

第2に人の苦しみをなくす悲無量心、

第3に人の喜びを自分の喜びとして喜ぶ喜無量心、

そして最後に恨みを捨てる捨無量心、

この4つが必要であると教えています。

現在進行中の近代化は、こうした仏教の理念に即した社会を実現する可能性を根底から覆すものなのではないかと、自問せざるをえません。

私たちブータン人は、本当の意味で開花した人間および社会を実現する、別な近代化の道があるのではないかと模索しています。

本当に開花した人間とは、単に開発の主人公としての人間とは別物です。

ブータンは心がけているのは、仏教に深く根ざしたブータン文化に立脚した社会福祉、優先順位、目的に適った近代化の方向を見いだすことです。

最近になってGross National Happinessすなわち「国民総幸福」という指針が各国でも真剣に取り上げられるようになりましたが、これはすでに20年以上も前に現ブータン国王(第4代国王、在位1972―2006)が提唱したものです。

Gross National Happinessすなわち「国民総幸福」は仏教的人生観に裏打ちされたもので、わたしたちが新しい社会改革、開発を考える上での指針です。

一部の人々は、仏教をはじめとする哲学的考察と、政治、経済は、異なった次元のものだと考えていますが、けっしてそうではなく、すべてが統合され、総合的に考慮されるべきものです。

 

日本では「理想は理想、理屈は理屈。現実の経済はそういうもんじゃない」と、リーダーたちのほとんどが考えているようだし、実際にも言っていますよね。「きれいごとを言ってもしょうがない」と。

しかし、今、ある意味でのきれいごとを言わなければならない時代だと思います。

 

今日もっとも重要な課題は、西洋的政治・経済の理論と仏教的洞察との溝を埋めることです。

仏教の活力と仏教社会の将来は、仏教の理想をどのようにして社会の進むべき方向、あるいは取るべき選択に肯定的に反映することができるか否かにかかっています。

 

ブータンは、国のトップリーダーの奥さんがこういうことを言う国なのです。

残念ながら日本では、首相の奥さんも首相自身も、こういう講演はしないでしょうね。

私は、精神性・価値観のところがしっかりしていないと、結局は持続可能な国を創ることはできないと思っていまして、この会のみなさんには、ブータンの精神性の高さ、こんなに本気だから可能になりつつあるのだ、ということを確認していただけるとうれしいです。