大乗の菩薩とは何か 1

来週の土曜日25日は、東京・神田で「大乗の菩薩とは何か――『摩訶般若波羅蜜経』の要点を学ぶ」の第二回目の講義を行ないます。

大乗仏教の菩薩の到達目標には、ただ覚りという個人の内面だけではなく、一切衆生の救済とそのための仏国土の建設という社会の外面の課題も含まれていることを、『摩訶般若波羅蜜経』という原典で確かめる、というのが講座の目的です。

それはまた、『摩訶般若波羅蜜経』とほぼおなじ内容を含むより大規模の叢書『大般若経』という日本精神史の遺産の内容を、理解して受け継ぐための作業でもあります。

そのことを明らかにするために、かつて雑誌に連載した、「日本人の心と仏教」の一部を以下に採録しておきますので、日本人としての健全で正当な精神的アイデンティティを再確立したいという思いをお持ちの方には、ぜひお読みいただきたいと思います。

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天智天皇をリーダーとした大化の改新、弟天武の妻持統天皇をリーダーとした「大宝令」によって「律令国家」が確立します。……律令国家確立の背後には、そうした国家リーダーたちの高い理想・志があり、そのモットーが「和」でした。そして、「和」という日本の理想は、大乗仏教を核とした「神仏儒習合」の思想から生まれたものでした。

持統に続いて即位したその孫文武天皇も、若くして亡くなった文武の後を受けたその母元明天皇も、その娘でおそらく次の聖武天皇までの中継ぎとして即位した元正天皇も、その理想をしっかりと受け継いでいるようです。

とはいえ、文武から元正まで、具体的な政策としては律令制の確立に重点が置かれ、仏教については目立つ事跡はありませんが、七一〇年、元明女帝の時、唐にならって文明国にふさわしい都を築くため平城京へと遷都がなされていることは、注目すべきことでしょう。

本格的な都の成立は、中央集権体制としての律令国家の確立と対応しています。そして、中央集権が確立しなければ、日本全国への仏教のトップダウンもありえませんでした。

日本人全体が仏教を共有するための大きな働きかけをしたのは、聖武天皇ですが、その仏教振興は、それを実行・実現する場所としての奈良・平城京なしには考えられません。

聖武天皇が、全国に国分寺・国分尼寺を造営させ、奈良に総国分寺としての東大寺とその本尊である大仏を建立したことはよく知られています。

七四一(天平十三)年、国分寺・国分尼寺建立の詔の中で、聖武は「このごろ、田畑の稔りが豊かでなく、疫病がしきりに起こる。それを見ると身の不徳を慚じる気持と恐れがかわるがわる起こって、独り心をいため自分を責めている。そこで広く人民のために、あまねく大きな福があるようにしたいと思う。そのため…全国の神宮を修造させ、去る年には全国に一丈六尺の釈迦の仏像一体宛を造らせると共に、大般若経一揃い宛を写させた。そうしたためかこの春から秋の収穫まで、風雨が順調で五穀もよく稔った。これは真心が通じ願いが達したもので、不思議な賜り物があったのであろう。…」(宇治谷孟訳『続日本紀』)と述べています。

しばしば「奈良仏教は鎮護国家の国家宗教であって、民衆の宗教、民衆の救いではなかった」というふうな評がなされてきましたが、こうした詔勅をすなおに読むと、そこには大きな誤解があったのではないかと思わされます。

「鎮護国家」とは、単に迷信的な呪術によって自分たちの権力の維持を図るといったことではなく、人民すべてが幸せに暮らせる国になるよう祈り願うということだったのではないでしょうか。そういう意味で、この時代の仏教は、確かにまだ「民衆が信じる宗教」にはなっていなかったにしても、「民衆の幸せを祈る宗教」という面をまちがいなく持っていたことを正当に見直すべきだと思うのです。

日本の総国分寺・東大寺の本尊は、これまたあまりによく知られた大仏すなわち毘慮舎那(または慮舎那)仏で、『華厳経』詳しくは『大方広仏華厳経』の教えの主体である仏です。

「毘慮舎那」はサンスクリット語の「ヴァイローチャナ」の音を写したもので、「光明遍照=世界すべてを照らす光」という意味で、この仏さまは、蓮華蔵世界というところの千枚の花びらからなる蓮の花の上に坐っており(実際の大仏は十八枚)、その千枚の花びらそれぞれに一人ずつ釈迦如来がいて、人々を教え救う働きをしています。

この像は、右の手のひらを開いて上げ(施無畏の印)、左手を伸ばす(与願の印)という手のかたちをしています。そのかたちには、人々に恐れや苦しみのない安らかなこころを与え、すべての願いを叶え、さらには覚りたいという願いを起こさせるという仏さまの心が象徴的に示されています。

こういう意味をもつ毘慮舎那仏を総国分寺の本尊とし、その分身としての釈迦如来像を祀る国分寺・国分尼寺を日本全国に建てさせたことは、この仏の功徳の光が国中に照りわたって、日本が、人々の願いがかない、不安や苦しみなく生きていける、光溢れ調和に満ちた美しい国になることを、聖武天皇が本気で願っていたことを表わしています。

いわゆる天平の時代は、「青丹よし寧楽の都は咲く花の匂うが如く今盛りなり」の歌に示されるような文化の花が開いた時代である一方、不思議なほど天災が頻発し、疫病の流行もあり、いくつもの政変もあって、決して民衆すべてが心安らかに暮らせるような時代ではありませんでした。

この時代の基本史料『続日本紀』そのものを読んで気づくことは、律令制によって、一方では民衆からの収税が制度化されたと同時に、歴代天皇―政府は、天災・飢饉・疫病流行などの際には納税を免除あるいは延期したり、稲籾を貸し付けたり、しばしば物資を送り、医師を派遣するなど、民衆への援助も行なっているということです。

こうした記事は、戦後の歴史教科書などではほとんど紹介されていないようです(私も学んだ憶えがありません)。しかし考えてみて、律令制という全国的な行政制度の確立なしに、部族的な地域社会の中だけでそうした「社会福祉」ができたでしょうか。飢饉や流行病や地震などで地域社会が壊滅状態になった時、より広範囲な行政制度や財政的基盤がなければ、援助は不可能でしょう。

もちろん古代という時代の経済力の限界、身分制という限界はあったにちがいありませんが、「慈悲」や「仁」、「愛民」、仁政・徳治といった古代リーダーたちの理想は、けっしてひたすら主観的・観念的ではなく、かなりの実行を伴ったものだったようです。しかも、時代の制約を考えれば、それは精一杯の努力だったといってもいいのではないでしょうか。

七四三(天平十五)年、大仏造営の詔には「朕は徳の薄い身でありながら、かたじけなくも天皇の位をうけつぎ、その志は広く人民を救うことにあり、務めて人々をいつくしんできた。国土の果てまで、すでに思いやりとなさけ深い恩恵を受けているけれども、天下のもの一切がすべて仏の法恩に浴しているとはいえない。そこで本当に三宝の威光と霊力に頼って、天地共に安泰になり、よろず代までの幸せを願う事業を行なって、生きとし生けるもの悉く栄えんことを望むものである」(前掲書)と語られています。ここには聖徳太子の「菩薩としての天子」という理想が脈々と引き継がれている、と私には読めます。

こうした志への共感があったからこそ、それまでひたすら民衆の救済と布教に専心し、時には政府の仏教政策と対立した行基も、大仏建立に関し全面協力する気になったのでしょう。それもまたよく言われたような、権力への妥協・迎合ではなかったのだと思われます。

戦後の進歩的知識人の批判精神は、日本のかつてのリーダーたちのマイナス面だけを見て、こうしたプラス面をほとんど見落としてきたのではないかと感じます。それには理由や必然性があったにしても、多くの弊害も残したといわざるをえません。

そういう私も、日本仏教の再発見をきっかけにして、ようやくかつての日本のリーダーたちのプラス面、リーダーにおける「日本の心・日本の理想」を再発見しつつあるところです。

飛鳥から白鳳・天平にかけての仏像や寺院などの仏教美術に、それ以後の時代とはある種「格が違う」といっていいほどの非常な高さを感じるのは、背後にそうした政治と仏教のリーダーたちが共有していた理想の高さがあるからなのではないか、とこのごろ感じています。

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聖武天皇が、日本全国国ごとに国分寺・国分尼寺を建てさせ、特に『大般若経』一揃いを整備させたということは、そこに、日本のトップリーダーの「民さらには生きとし生けるものすべてが幸せな国にしたい」という願い・理想が表現されているということでしょう。

確かに『大般若経』は、聖武天皇の時代からずっと、典型的には「大般若会(だいはんにゃえ)」というかたちで、呪術的な効果があるものとして儀式的に読誦されてきました。

しかし、『大般若経』そのものには、呪術的な意味しかなかったのでしょうか。

そもそも『大般若経』にはどういうことが書かれていたのでしょう。

私たちは、これまでほとんどその思想的内容を知らないままできました。

ところが私は、きっかけがあって、『大般若経』六百巻全体を読むことができ、その内容の深さに感心してしまいました。

しかも、繰り返せば、「大乗仏教の菩薩の到達目標には、ただ覚りという個人の内面だけではなく、一切衆生の救済とそのための仏国土の建設という社会の外面の課題も含まれている」ということに気づいて、驚いてしまいました。

その気づきと驚きをみなさんとシェアしたいというのが、今回の講座の目標なのですが、ご参加いただけないブログ読者のために、せめて原文だけでもご紹介したいと思います。

『摩訶般若波羅蜜経』「夢行品第五十八」の後半に、大乗の菩薩の誓願すなわち実現目標が30項目あげられています。

すでにかなり長くなっていますので、今日は、第一願と第二願だけ掲載します。

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ブッダがスブーティに告げられた。

(佛須菩提に告げたまう。)

〔第一願〕

菩薩摩訶薩がいて布施波羅蜜を実践する時、もし衆生が飢え凍えて衣服が破れているのを見たならば、菩薩摩訶薩はまさにこのような願を立てるべきである。私はこの時・所で布施波羅蜜を実行し、私がこの上ない覚りを得た時、私の国土の衆生にこのようなことがなく、衣服・飲食・生活に必要な物が、まさに四天王の天界、三十三天・夜摩天・兜率陀天・化樂天・他化自在天の(天界の)ようにしよう、と。スブーティよ、菩薩摩訶薩は、こうした行をなすことで布施波羅蜜を完成させ、この上ない覚りに近づくことができるのである。

(菩薩摩訶薩有りて檀那波羅蜜を行ずる時、若し衆生の飢寒凍餓し、衣服弊壞せるを見て、菩薩摩訶薩は當に是の願を作すべし。我れ爾所の時に隨ひ檀那波羅蜜を行じ、我れ阿耨多羅三藐三菩提を得る時、我が國土の衆生をして是の如きの事無く、衣服・飮食・資生の具、當に四天王天・三十三天・夜摩天・兜率陀天・化樂天・他化自在天の如くならしめんと。須菩提、菩薩摩訶薩は是の如き行を作して能く檀那波羅蜜を具足し、阿耨多羅三藐三菩提に近づく。)

〔第二願〕

また次にスブーティよ、菩薩摩訶薩が持戒波羅蜜を実践する時、衆生が殺害をなし、邪な考えを持ち、寿命が短く、病が多く、顔色がよくなく、威厳がなく、貧乏で財産がなく下賤な家に生まれて様子が醜いのを見たならば、菩薩摩訶薩はまさにこのような願を立てるべきである。私はこの時・所で持戒波羅蜜を実行し、私が仏になりえた時には、私の国土の衆生にこのようなことがないようにしようと。スブーティよ、菩薩摩訶薩は、こうした行をなすことで持戒波羅蜜を完成し、この上ない覚りに近づくことができるのである。

復次に須菩提、菩薩摩訶薩の尸羅波羅蜜を行ずる時、衆生の殺生し乃至邪見、短命、多病、顏色好からざる、威徳有ること無き、貧にして財物に乏しき、下賤の家に生じて形殘醜陋なるを見て、當に是の願を作すべし。我れ爾所の時に隨ひ尸羅波羅蜜を行じ、我れ佛を得る時、我が國土の衆生をして是の如き事無からしめんと。須菩提、菩薩摩訶薩は是の如きの行を作して能く尸羅波羅蜜を具足し、阿耨多羅三藐三菩提に近づく。

 

 

 

 

日本の理想・原点としての『十七条憲法』 講演要旨

16日夜、聖徳太子『十七条憲法』について講演をしてきました。

折も折、憲法改正が実際の日程にのぼるかもしれないという状況のなかで、タイトルのような話をする機会が与えられたのは、ある種、時なのかもしれない、という気がしています。

聴衆の反応には大きな手ごたえを感じました。

すでに、2003年、つまり十年も前に書いた拙著『聖徳太子『十七条憲法』を読む――日本の理想』(大法輪閣)でも、2011年の『日本再生の指針――聖徳太子『十七条憲法』と「緑の福祉国家」』(太陽出版)でもあまり感じられなかった手ごたえでした。

日本人のアイデンティティはどこにあり、これから日本をどういう国にすればいいのか、本格的な危機感と問題意識をもつ人が増えてきているのでしょう。

これが、日本を持続可能な方向へと方向転換させる大きな潮流になっていくことを願わずにはいられません。

詳しくは、拙著2点をお読みいただきたいし、このブログにも関連記事をたくさん書いてきましたが、とりあえず当日の講演要旨を以下に収録・紹介しておきたいと思います。

『十七条憲法』は日本初の憲法である。

そこには、「和」こそ、これから目指すべき日本の国家理想・国家目標だという高らかな宣言がなされている。

「和」には、人間同士の平和はもちろんさらに人間と自然の調和という意味も含まれており、そうした「和」の国日本を建設するという国家的プロジェクトを実行-実現するうえで不可欠の心がまえが語られている。

そういう意味で、『十七条憲法』は、日本の目指すべき「国のかたち」と「心のかたち」を示したものである。

なぜ「和」の国でなければならないかを、聖徳太子は、伝統的神道に加えて仏教と儒教を統合的に捉えた「神仏儒習合」の教えによって明らかにしている。

そうした「神仏儒習合」の精神は、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸と時代を経ながら全国津々浦々、庶民のすべてに到るまで日本人全体に浸透し、いわば「日本の心」になっていった。

日本人の正直で真面目で勤勉で親切で……といった善良な心・心の「型」は、「神仏儒習合」の教えによって育まれたものである。

その「神仏儒習合」のという心の型・精神性・倫理性が、明治維新による近代化・西洋化、敗戦によるアメリカ化、そして70年代以降ますます進む過度の経済偏重・物質主義によって「型崩れ」を起こしているというのが、現在の日本の精神性・倫理性の荒廃-崩壊のもっとも大きくかつ深い原因なのではないか。

そういう状況のなかで、私たち日本人にとって日本という国の原点である『十七条憲法』と「神仏儒習合」のもっていた意味を再発見することが急務なのではないか。

第一条には、国家理想としての「和」とそれを妨げる「黨」つまり無明から生まれる党派心が明らかにされ、徹底的話し合いを通した合意による国家建設への決意が語られている。

第二条には、無明の心を正す方法として仏教を国教化することが宣言されている。

第三条には、そうした国家建設の目的は人間同士の平和と人間と自然の調和であることが明らかにされ、それへの全面的協力への要請がなされている。

第四条以下には、到達目標としての自治、それに到るプロセスとして徳治、法治が語られ、国家リーダーが「愛民」・菩薩の心を持って協力しあうべきこと、統治は民のためになされるべきことが語られる。

とりわけ要となる第九条には「信」を共有すべきことが語られ、最後の第十七条には改めて独裁ではなく合議による国家建設が説かれている。

そこには、賢者・菩薩的リーダーが協力しながらリードして日本を、人間同士も人間と自然も穏やかに幸福に生き続けることのできる、現代的に言えば「エコロジカルに持続可能な福祉国家」にしたい・しようという国家理想の宣言とその実現への強い勧誘・勧告がなされている。

聖徳太子『十七条憲法』を読む―日本の理想
クリエーター情報なし
大法輪閣
「日本再生」の指針―聖徳太子『十七条憲法』と「緑の福祉国家」
クリエーター情報なし
太陽出版